競馬で一服。|List №3

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こんな披露宴はいかかですか?

 A氏はある大手の建設会社の社長である。課長という地位は何かと気苦労が多い。上司からは信頼され、そして部下からは慕われなくてはやっていけない。だからストレスも大きかった。そんなA課長の唯一の気晴らしは競馬、自分だけの世界に浸ることができるのは貴重な時間だ。
 1月23日、A課長にとっては忙しい土曜日だった。月1回の土曜出勤である上に、午後からは結婚披露宴に出席しなければならなかった。招待状の差出人は 2年前までA課長の部下だった女性だが、その後はどうしているのか全く知らなかった。招待状を開いても誰だったかすぐには思い出せない程度の印象しかなかった位だから、正直なところ出席するのはあまり気が進まなかった。しかしかつての部下の結婚を祝う気持ちが無い訳でもない。「これも仕事のひとつ」と納得して出席する事にした。

 12時の終業時刻になると、A課長は近くのウインズに向かった。披露宴の開宴は午後2時で、会場も近い。馬券を買う時間は十分にあった。この日のメインレースは準オープン馬16頭による初富士ステークス、実力が拮抗している上にハンデ戦とあって難解なレースだった。A課長は8枠の関西馬キューティハートを狙っていた。ここ2戦は1番人気を裏切っているが、今回は間隔をとったローテーションで立て直してきた。しかし相手は難しく、どの馬にもチャンスはあるように思えた。A課長は有力馬が2頭ずつが入った5枠と7枠を切り、印がバラバラとしか付いていない1、2、4枠へ枠連の3点買いをすることにした。8枠は人気だが、それでもオッズは全て15倍以上であった。

 披露宴は予定通り午後2時に始まった。招待客は両家合わせて60名程度、それほど規模の大きくない宴だった。テーブルは1卓が8名ずつの円卓で、それが 8卓用意されていた。A課長のテーブルは新婦の現在の会社の上司や同僚といった面々で、周りは知らない人ばかりだった。しかしスピーチの予定もないし。座って料理を楽しむだけの立場だったから気は楽だった。
 媒酌人による2人の紹介と主賓の挨拶が終わったところで乾杯、新婦が1回目のお色直しに立った。最近の披露宴はお色直しの回数が多い。1回、2回は当たり前で、多い場合には3回、4回にもなる。披露宴の時間は2時間半程度が普通だが、新婦は半分位の時間の時間しか席にいない場合もあるようだ。しかし主役が席にいないわけだから、その時間はどうしても盛り上がりにかける。最近では友人たちが差し障りの無い程度に2人の裏話を披露して場を盛り上げる事もあるようだが、今回の披露宴では2度目のお色直しの間に、奇抜な企画が用意されていた。

 宴始まって1時間半弱、2度目のお色直しの時間になった。新婦は最初のお色直しで白無垢から色打掛に衣装が変わっている。今度は2人揃って洋装に着替えるのだろう。新郎新婦が控え室に姿を消した。そして新郎の友人がマイクの前に立った。「この時間をお借りして、楽しい企画を用意いたしました。これからの 2人の生活がウマくいうようにと願い、馬に登場していただきます。といっても本物の馬をここに連れてくる訳にはいきません。テレビの画面にご注目下さい」。大型のテレビが運び込まれてきた。画面に映し出されているのは中山競馬場からの中継である。A課長は思わず身を乗り出した。

 「まもなく本日のメインレースがスタートします。実は新郎は大の競馬好きです。そして両家のお父さんも嫌いではないと聞いております。ご両家の協力をいただいて、ここに人数分の馬券を用意いたしました。本日はテーブルが8つ、そしてそれぞれに8名ずつのお客様ということで非常に都合がよろしいようです。各テーブルごとに、ある枠から8通りの馬券をお配りいたします。例えば左端のテーブルのお客様には1-1から1-8までの8枚の馬券が割り当てられます。お1人が1枚ずつ取ってください。金額はそれぞれ1000円ずつ、的中したお客様にはお土産としてお持ち帰りいただきます」。なるほどこれは考えたものだ。枠連とはいえ荒れるハンデ戦、50倍の馬券が出れば5万円のお土産になる。ゾロ目でなければ的中者は2人出る計算である。

かつぶー≫この後まだ話は続いているんですけど、結局3-3の大穴が入ってA課長の隣のお嬢さんが当たったという事です。これで盛り上がって披露宴は大成功だったというわけです。確かにいいですねぇ・・・私の時も頂いちゃいましょうかねぇ(笑)。その為にはうまく8枠に合わせないといけないですけどね。
本当なら、披露宴はやりたくないですけどね・・・

競馬場は宝石箱より 3.21

大川慶次郎・パーフェクト予想の真実。

 昭和36年9月3日。東京競馬場で大川慶次郎氏は史上初の大記録、パーフェクト予想を達成した。しかも低配当のレースばかりを当てたのではない。中穴、大穴、すべてをズバリ、全レースを的中させたのである。
 大川氏は当時32歳。気鋭の青年予想家として、競馬界に存在感を誇示しはじめていた頃だ。あれから三十数年たち、競馬界の大御所となったいま、あのパーフェクトの日を振り返っていただこう。

R
競走名
頭数
勝ち馬
単勝
人気
連番
配当
連単
人気
1
アラブ3歳
5
シンダイ
2
3-4
1,320円
6
2 アラブ20万下 7
マツキンミレー
1
5-4
610円
2
3
アラブ障碣
4
シンコウ
1
3-4
170円
1
4
アラブオープン
6
ハマントキセキ
5
2-4
4,690円
17
5
サラ3歳新馬
5
スズサンゲツ
3
4-1
1,140円
6
6
サラ障碣
6
アンジエラス
1
3-1
310円
1
7
サラ4歳特ハン
7
スズブエ
2
5-3
1,230円
5
8
サラ4歳60万下
4
ヤサカオー
1
4-1
260円
1
9
第6回京王盃AH
6
スターロッチ
2
6-5
880円
3
10
サラ30万下
9
スイテンミドリ
2
5-5
1,360円
8
11
サラ未勝利
9
シヨウコン
1
1-4
560円
1

 このパーフェクトは連勝単式で達成したものなんですよ。
 当時はいまのように連勝複式ではなく1、2着を着順通りに当てないと的中にならなかったんです。6枠制だったから当たりやすいでしょ、という人がいるかもしれないけど、僕は連単でのパーフェクトは誇ってもいいいと思ってます。
 その当時の競馬っていうのは、ここ数年のブームからはとても考えられないマイナーなものだったんです。競馬新聞を人前で見るのが恥ずかしいという時代ですよ。競馬場も最近は華やかになってきているけど、まだまだ賭場の雰囲気があった頃だからね。
 そういうご時世だから、マスコミに競馬が取り上げられる事なんてまずなかった。ひとりの競馬予想者が連戦連勝したって、大騒ぎされるご時世ではなかったんです。

 ところがどういうわけか、その週は事件らしい事件がまったくなかったんです。とっても平和な週だったわけなんですけど、週刊誌としてはネタが無いという事になるんでしょう。で、たまたま「週間読売」の記者が競馬場に来ていて、僕の予想見ていたんです。連戦連勝でついに全部的中したのにビックリし、ネタがなかった週ということもあって大きく取り上げてくれたんです。
 その記事によれば、なんでも1000円の元手で僕の予想ですべて転がしていくと、600万、700万になるというんだ。30年以上前の600万、700 万ですよ。そういう見出しが出れば読者も驚きますよ。それで他の雑誌にも紹介された。そのときの「週間読売」の見出しになったのが「競馬の神様現る」です。それ以来「神様」なんていわれてるわけです。
 実際にはいくら儲けたかですか?自分でもパーフェクトになるとは思ってなかったから。11レースのうち4レース当たればいいほうだ、というのがありましたからね。だからあまり大きく賭けられない。たしか7000円の元手で10万儲けただけでした。といっても当時の10万だから、それなりの額なんじゃないかな。

かつぶー≫確かに頭数は少ないものの連単でパーフェクトというのは賛辞を贈るべきものだと思いますね。けど結局は大川さんもトータルすれば負けてる訳で、要は自分の自信あるレースにどれだけ大きく賭けられるか、またそのレースの判断が出来るかにあると思いますね。
しかしそのレース結果の表見ると懐かしい名前がありますね。スターロッチなんかはいま日本の内国産の根幹をなす牝馬ですし、「サラ30万下」というのはねぇ・・・今は500万下からですから、当時とは大分金の価値・格差がありますね。
しかし今の競馬では連複でもパーフェクトは至難でしょうねぇ。馬連なんてとてもとても・・・

「競馬名馬読本2」より 3.14

ウマは自分がレースに勝ったことを知っているか。

 競馬の世界では勝ち馬について感傷的に語られるのが常だが、この疑問に対する答えは「ノー」でなければならない。それはレースのしくみ詳細に検討すれば明らかである。もっとも馬は自分は今まさに馬主と調教師と騎手のために高額の賞金を獲得したのだということなどまったくわかってないのだと言っても、競馬の専門家たちはいっさい認めようとはしないだろうが。

 いかなるレースであろうと、サラブレッドは最後の山場の筋肉をフル回転させる。しかしそれはレースに勝つためではない。それは騎手を喜ばすためである。馬はとても敏感できわめて協調的な生き物である。自分に乗っている人間に敬意を払い、すべての命令に応えようとする。鞍上の人間がもうちょっと速く走らせたいとかスピードダウンさせたいとか考えてる事が馬にはわかる。手綱を握る手の感触とか、鐙にかけられた脚のつっぱり具合とか、体の緊張を直接感じ取ることで馬にはそれとわかるのである。騎手が喜んでいる事だって、騎手が馬の頸を手の平で叩くしぐさや騎手が喜びに満ちた叫び声を発することでわかったりする。しかし馬にはそうやって騎手が喜んでいる事と、他の馬よりもわずかに先行してゴールを通過したという肝心要のこととを結びつけることなど出来るはずもない。それは完全に人間が考える事であって、馬にとっては全く何の意味もないことである。

 競馬関係者たちがこのことをなかなか認めようとしないのは不思議なことである。しかし彼等だってどの馬がレースに勝ったかわからない場合が多いではないか。ゴールの真横に立って見ていても、レースが競った場合には写真判定の結果を待たなければどの馬が勝ったのか誰にもわからない事がよくある。それなのに馬に何をわかれというのか。あるいは1着と2着との差が大きく開いたレースの場合、着順が決定されるゴール前を通過した瞬間など、その馬にとってどんな意味があるのだろう。実際問題としてレースに勝ったかどうかということ以前に、自分がレースをしている事を馬がわかっているかどうかも怪しいものである。馬達にわかっていることと言えば、閉じ込められていた狭い厩から広い競馬場に引っ張り出され、自分がそれ以上動けなくなるまでか、自分にまたがる騎手が手綱を緩めて追わなくなるまで精一杯速く走れと鼓舞されるということ、それが全てである。馬にとってレースとは群れでの暴走とよく似た要素が加わった運動にすぎない。走る速さを競うなどということは馬の頭にはまったく存在しない概念だし、馬がレースを走るにあたって競馬関係者の一部が想定しているようなロマンチックな気分を抱いているなどということも一切ない。

 あるアイルランド馬がイギリスのさるレースに勝った時、テレビの競馬解説者が「レースに勝ったことを間違いなく知っている馬がここにいます」と褒め称えたことがあった。解説者がそういったとき、汗を光らせて腹を波打たせているその馬は、頸、脇腹、背中、尻その他手の届く個所をうれしそうにピシャピシャとたたきまくるアイルランド人達に取り囲まれていた。そのような平手打ちと歓声の集中砲火から馬がどんな結論を下しているかは誰にもわからない。しかし自分は他の馬よりもコンマ何秒か速くゴールを通過したんだということではない事だけは確かである。あるいは他の馬は平静を楽しんでいるのに自分ばかり群集に取り囲まれるはめになったのは、何か恐ろしい間違いをしでかしたからに違いないと思い込み、あとはただものすごい叫び声と群集の圧力におろおろイライラしているだけという可能性だってある。馬はとても敏感で利口な動物ではある。しかし所詮は人間ではないし、ましてギャンブラーでもない。自分がレースに勝った事など知るはずもないのである。

かつぶー≫こういった事を書いていると「競馬ってなんて人間のエゴのかたまりなんだろう」って思いますね。

「競馬の動物学」より 3.8

騎手はペース判断をこうしてやる。

 中、長距離レースでは騎手のペース判断が勝負を決める大切な要因になる。
 本当に強い馬ならペースが速ければ速いなりについていき、遅ければそれに合わせられる。そしてゴールでは測ったように他馬を抜き去るというのが理想だが、そういう馬は少ない。先行馬や逃げ馬では自分のペースを作ることが大事だ。

 騎乗していてどのくらいのペースで行っているかわかるのかというファンの質問があるが、ほぼ正確にわかると答えておこう。調教でハロン14~14で行って(1ハロンは約200m。この200mを14秒平均で行く事)上がり38くらい(最後の3ハロン、600mを38秒で走る事)で回って来いといえば、見習い騎手でもできる。ベテラン騎手になれば時計よりも正確にハロンラップはわかる。これは経験から体を通して得られる感じだ。ハロン12~13秒がレースでは普通の速度。ダッシュ時にハロン10秒台を計時する馬もいる。ハロン14秒といえばかなり遅いペースといえる。

 しかしレースはまた別物だ。自分の馬だけでなく他馬との兼ね合いも出てくる。
 レース中のペース判断は時計では決して計れない。レースで前半の時計が速すぎたとか、800m通過時の時計がいくつであったとかの評が新聞に出てくる。最近はこれがとみに盛んなって騎手の批判にまで発展する。
 しかし騎手の側からいえば、ペース判断はあくまで馬との呼吸できまってくる。少々速いペースに見えても、馬との折り合いがつき、無理せず行けるならそれでよいのだ。私がいつも考えていたのは、このペースでいってあがり3ハロンにどれだけの脚を残せるかということだ。無理なく道中を行って上がり3ハロンに余力が残せれば、ペースの遅い速いは関係無くなってくる。

 また逃げ馬に乗る場合、前半をいかにしてスローペースで逃げ切るかが重要なポイントになるということが定説になっている。前半に無理をせず、余力を残しておくのだというなら確かなことだが、前半をあまりスローにしたために3~4コーナーで他馬につかまり、後ろから来た馬に差されるという方が私の経験では多かった。私が逃げ馬に乗った場合は他の騎手よりペースは多少速かったと思う。これはペースを遅くして他馬を待つだけ損だという経験に基づいている。ゴール前で脚が止まっても他馬よりハナでも出ていればよいのだ。逃げ馬が脚を余して負けるほうが悔いは残る。

 騎手同士の駆け引きも重要だ。3~4コーナーで後続の騎手に「やられた!」という精神的に不安感を持たせられればしめたものだ。3~4コーナーで後続馬を引き離して無理な脚を使わせる事もある。また他馬を引きつけて「死んだふり」をして直線に入ってからふたたび引き離すこともある。

 追い込み馬に乗った時は後からいくのだから、反対に相手にあまり楽なペースをさせないようにすることが大事だ。どこかで突っかけるというか、おびき出すという動作をしなければならない。上がり3ハロンにどれだけの脚を使えるかを確かめながら先行馬を射程距離に入れておく。
 マークする馬はあらかじめきまっているが、レースになれば特定の馬だけに注意をしぼれるものではない。特定の馬をマークすることはとても疲れることで、余計に脚を使ってしまうというマイナス面のほうが大きい。あくまでも自分の馬を中心に考えてレースは進める。

 ペース判断の良い騎手、悪い騎手というのはある。しかしこれもペースがつかめないというより、馬との呼吸が合わないとか、レース中に起こる咄嗟の事態に対処できないといった方がいい。騎手にも一瞬のひらめきが大事だ。こうすればよかったと思っているうちにすぐゴールだ。
 ファンはペースを数字だけでとらえないで騎手の手綱さばきも見て欲しい。

かつぶー≫確かに私も見なかったレースについてはペースは数字で判断してしまいます。出来るだけ見るようにしていますが、大体勝つ馬というのは道中ピタっと騎手が動いていないですよね。うまく流れに乗れているという事なんだと思いますが、これは事前にわかる訳がないです。なので「この馬はこの位のペースがいいんだろう」とい事を頭に入れておく位しか私等には出来ません。またペースうんぬんより気分良く走れるかどうかという馬もいますから、数字だけでは計れないというのもわかりますけどねぇ・・・。向正面の時点で馬券が買えればいいんですが(笑)。

野平祐二著「競馬の科学」より 3.1

9文字に願いを託すネーミング。

 トウカイテイオーやライデンリーダーという名前は、生まれてすぐ命名されたものではない。牧場にいるときは血統名がつけられている。たとえば「カッティングエッジの96」なんて馬名で区別される。96年のカッティングエッジの産駒の意味である。
 売買契約が成立して、馬主の所有馬になってトウカイテイオーとか競走馬名が生まれる。馬主のひとつの楽しみ方である。所有の多い馬主は逆にしんどい作業ともいえる。

 馬名登録には地方も中央もいくつかの規定がある。次に揚げる事項に該当する場合は登録できない。
 (1)有名な馬の名称や馬名と同じである馬名又はこれと紛らわしい馬名
 (2)父母の名称や馬名と同じである馬名又はこれと紛らわしい馬名
 (3)既に登録を受けている馬名や登録を抹消されてから5年を経過しない馬名と同じである馬名又はこれと紛らわしい馬名
 (4)奇妙な馬名
 (5)明らかに営利のための広告宣伝を目的として会社名、商品名等と同じである名称を附したと認められ、かつ競走馬の馬名としてふさわしくない馬名
 (6)10字以上の馬名

 この他にもレース実況で混乱を招くオイコミーやセンコウユウリなどや、1文字だけのもの、性別を無視して牝馬にミスター、プリンスなどもだめ。
 第1候補から5つ馬名を申請する。その際に必ず意味も説明する。外国語の馬名も同様。
 GⅠの優勝馬の馬名は5年以上経過しても無理。GⅡ以下の重賞勝ち馬の馬名については20年以上経過すれば許されるけど、オリジナルの馬名がやっぱりよろしい。

かつぶー≫まぁ私が馬主になることは多分無いでしょうね。私はその馬の余生まで面倒みないと気が済まないから。それには牧場でも持っていないと無理ですもんねぇ。
でももし馬を持ったら、なんて考える事はあります。私がまず最初につけたい名前が「フォーマルハウト」ですね。ある星座の1等星の名前ですね。まぁ意味は簡単ですけどね。「その星の名前(1等星)のように光り輝いて欲しい」ですか。
しかし私が馬を持つことなんてのは宝くじに当たる以上にに難しいですねぇ・・・

馬主求む!より 2.22

予想紙の効果的な活用法。

 競馬の楽しみのひとつは、パドックで馬を見ることである、というファンも多い。しかし現実には馬券の90%は競馬場ではなく場外で売れている。仕事や時間のの制約があって、だれもが競馬場に足を運べるわけではないから手近な場外や電話投票などで馬券を買うということになるのだろう。なかには競馬場の人混みが苦手だから、という人もいるかもしれない。馬券を買っておいてゴルフやハイキングにでかける人だっているだろう。現代人はなかなか忙しい。

 こうしたパドックを見ないファンや見てもわからないというファンにとっては、予想紙が頼みの綱である。予想紙に掲載されている様々な情報の中から、これぞというものを選び出してそれをもとに馬券を買うのである。その中には素直に予想紙の印の中から何点かを選んで買うという方法もあるだろうし、予想紙の印を分析して配当のいい効果的な買い目を選択するという方法もある。また特定の予想家の印を追いかけるという方法もあるだろう。パドッカーズのなかにはそういう買い方は邪道ではないかと非難する向きもあるが、ファンは責任個人持ちで馬券を買っているのだから、例えば娘の誕生日の日付で買おうと、好きな野球選手の背番号で買おうと、それは一向に差し支えないのではないかと思う。競馬はあくまでも趣味のひとつなのだから、要はそれでファンが楽しめればそれでいいのである。

 しかし現実には娘の誕生日や背番号で買うのはたまにクラシックなどで馬券を買う人達で、毎週のように馬券を買っているファンはもっとシリアスな姿勢で馬券を買っている。なんとかして当てたいのである。
 こういうファンがどんな風に予想紙を活用しているかというのが興味のあるところだが、平均的には①予想紙の印を参考にする ②特定の予想家の印を追う  ③予想紙の提供してくれる情報をもとにする ④もち時計を中心にして ⑤調教タイムを参考にして ⑥ジョッキーで買う などといったところが多いようである。ともかく真剣なファンはなんとかして予想紙の情報を効果的に活用したい、と考えているわけだ。

 私にいわせてもらえば、どの買い方でもファンが納得して買っていれさえすればそれでいいのではないか、と思う。どの予想家が当たるといったところでその人の買い目をすべて参考にしようと、調教タイムを参考にしようと、結果的にはいずれもパーフェクトな方法とはなりえない。というよりいまだかつて競馬ではパーフェクトな勝ち馬発見法なんてみつかっていないのだから、ファンたるものそれぞれが最善と信じる方法に従って馬券を買うしかないのである。買ってしまったらあとは祈る事、月並みなようだがこれがまぁ最善の方法のようなのである。

かつぶー≫私もパドックは見ないので殆どは競馬新聞が頼りですね。またこんなHPもやっている位ですから、当てたいという願望は強いです。必勝本なんてのは色々読みあさって試したりしましたけど、結局は自分で考えて当たった時の喜びには勝てませんよ。
また競馬の考え方も、馬券の買い方も人それぞれ。どの方法がいいなんてのはありませんしね、自分でこれだと決めて馬券を買えばそれはそれでいいと思います。まぁ上に書いてあるのと私の考えはそんなに変わりませんね。ただ自分の考えを押し付けるような事はしたくはないですね。

知性派の馬券学 2.14

競馬の楽しみは前夜研究にあり。

 競馬の楽しさの最高の部分はもちろん馬券の的中にあるのだろうが、その楽しさに優るとも劣らね楽しさを与えてくれるのが、予想紙を真っ赤に塗りつぶしていく前夜研究の楽しさである。あれかこれかと推理を働かせながら長らく不遇の状況に置かれてきたが、ついに明日こそは勝てそうだ、どうもそういう予感がするとあらぬ妄想が無限に膨らんでいくのも前夜研究のしあわせなところである。

 硬骨のひと山口瞳さんは、いつも5色くらいのマーカーペンで予想紙を幼稚園児の絵日記みたいに塗り潰すことで知られていた。あれだけ丹念な色使いをするとなれば、お絵かきに要する時間も半端なものではないと想像できたが、ある時好奇心たまらずそのお絵かきの理由を伺ってみると、なんと5色の色分けはたんなる遊びではなくして黄色は逃げ馬、青は先行馬、緑は差し馬、赤は強烈な追い込み馬といったようにレースの展開が一目瞭然に分かるような展開予想図でもあるのだ、という回答を得た。

 競馬の巨匠・山口瞳さんは、どうやら逃げ馬を中心にしたレース展開に重きをおく勝負師だったらしいのである。勝負になりそうな逃げ馬の発見と、その馬を捉まえる確率の一番高い馬の発見こそが山口式色彩絵図のなかに大きな願望として描かれていたのであった。私にはあのちょっと気難しいところのある山口さんが、ひどくご機嫌な様子で5色ものマーカーペンをとっかえひっかえしている姿が想像できた。おそらく山口さんにとっても、その時間こそが一番至福のときだったに違いない。

 楽しい事は無類に楽しい。しかしこの前夜研究というものは、言ってみれば出口のよく分からない一種の堂々めぐりのようなものである。
 例えば多くのファンがよくやるように、出走馬達の距離適性、コース適性、芝とかダートとかの適性、持ち時計、前3走ないし前5走の成績といったようなオーソドックスなファクターを中心にして検討を進めていけば、あろうことかその結果を意味するところはほとんど予想紙のダンゴ(印)そっくりになってしまうのである。

 専門家といったって、別にプロ独特の特殊な予想方法を持っている訳ではない。したがって結局のところ、プロもアマチュアも先にあげたような同じ基本的なファクターを使って予想を組み立てることになる訳で、ファンが予想紙をもとにして同じように予想を組み立てるとすれば、結局プロのそれとよく似たものになってしまうのはきわめて当然の帰結というべきなのであった。どんなデザインの蛇口に換えてみたところで、水道の水はどこまでいっても水道の水なのであって、決してミネラルウォーターにはならない。
 要するに少なくともこの勝馬探しという魅力的なゲームにおいてはプロであれアマチュアであれ、打ち出の小槌のような素晴らしい神通力のある切り札は誰一人とて持っていないということなのである。

 勿論仮に結果的にはプロのつけた印と同じような結論に到達するにしても、自分で研究したという満足感も貴重だし、自分なりの分析を試みることによって「記憶のスポーツ」といわれる競馬の様々はファクターに次第に接近していくという付加価値もある。しかし一面においては、先に述べたように単に予想家と呼ばれる競馬のプロの結論のあとを追っかけているだけというか、その印のあとをなぞっているだけではないか、という疑問もないではない。

かつぶー≫私も赤ペンで色々塗り潰すといいますか、線を引きます(波線・鎖線等)。また色分けの変わりに私の場合は文字を書き込んでいます。多分この線と字を見ても自分にしか分からないでしょうねぇ。
またペンにもコダワリがあります。私は「ぺんてるの赤で、しかも先は潰しちゃいけない」という変なコダワリがあります。ちょうどこの赤の色あいと太さが私には非常に見やすいんですね。なので家にはちょっと先が潰れた「ぺんてるの赤」がいっぱいあります・・・

知性派の馬券学 2.7

10年がかりの実験でわかった2走ボケの実体。

 2ヶ月、3ヶ月の休養をとっていた(休養といっても遊んでいる訳ではない。故障のための休養でなければ、毎日の規則的な運動は続けられている)馬が、目の覚めるような勝ち方をしてそれからの好走を期待させたのに、その2週あとの2 戦目にだらしのない走り方をしてファンをがっかりさせることが時々ある。何時のころからかこれを「2走ボケ」と呼んで、競走結果の予想のむずかしさにもう一つの要素を加えることになったのだが、語呂のよさと中身のふざけた表現が一般に受けたのか、今では休養馬に必発する事実のような錯覚をおこさせている。
 古い実験だが、私達の先輩達が10年がかりで行った「競走馬の能力に関する研究」という報告がある。その一部を引用して「2走ボケ」は特異な現象でないという理由を説明してみよう。

 この実験は5月初旬から10月下旬まで、5ヶ月半にわたって毎日計画通りに調教し、その間7月末の初追い切り、8月第1週の初出走以後2週ごとに10月下旬まで連続7回の競走出走を仮定して行ったものである。供試したのはサラブレッド系牡馬4頭だが、毎日の運動量、調教方法などはほとんど同じであった。約3ヶ月で見かけの上では全部の馬が同じように仕上がっている。7月初旬の追い切りは1マイル1600m。ハロン20(現在の常識ではキャンターを少し速く行った程度だが)、8月初旬から2週ごとにくり返した仮想の競馬は7回ともマイル戦1600mであったが、途中の調教では1700ないし2000mを数回かなり速いギャロップで追い、いまでこそアラブ以下と笑われるが4頭ともに112~3秒で1マイルを走りうる能力を持つ事が出来たので、実験の目的ほぼ満足していた。

 さて問題はおのおのの馬が7回の競馬でどんな成績をおさめたかという事だが、実験の上では着順で甲乙を決める訳にはいかない。そこで考え出したのが回復率というものである。例えば競走の直前の脈拍が1分間に36回であったものが、競走終了後に72回、百分率にして200%、1時間後に41回で113%、 2時間後に36回で競走直前と同じ回数になったとすると、この馬は脈拍が完全に回復するのに2時間かかったという事になる。回復が早いほど楽に競走をこなしたと考えれば能力のある馬ほど回復は早いという事になるから、競走終了後一定の時間ごとの百分率で能力を比較することができる。血圧や呼吸についても同じ事がいえる。一方、エネルギー源になる血糖や血液中の炭酸は競走の後はかなり減少していて、もとにもどるのに時間がかかる。そこで競走によって馬の体のなかに起こるさまざまな変化を一定時間ごとに調べていくと、回復の仕方が馬によって異なる事がわかるから、それらのものを総合した上で能力を比較しようという訳である。この実験では体温、呼吸、脈拍、血圧、血液の比重、粘稠度、血色素、赤血球、白血球、血糖、炭酸などの11の項目について、競走直前、直後、1時間、2時間、3時間後と検査をして回復の状態をみ、競走直前の状態に対する百分率にして、それが10%の増減の範囲内におさまってきた場合を回復したと判定し、1時間後に11項目のうちの何項目、2時間後に11項目のうち何項目、3時間後に11項目のうちの何項目というぐあいに整理してから、3回の調査の結果の平均をとって回復率とした。例えば、

1/3×(3/11+5/11+7/11)=0.45

 即ち回復率は0.45という訳である。回復率は1.00に近いほどよいから、それだけ疲労から早く回復した、つまり所定の距離を楽に走った(成績が良かった)と考えるのである。

区分
月日
HS
HR
MT
MG
追い切り
20/7
0.43
0.71
0.56
0.43
1
3/8
0.57
0.86※
0.43
0.67
2
17
0.57
0.14※※
0.57
0.85※
3
31
0.43
0.57
0.43
0.85※
4
14/9
0.57
0.43
0.43
0.86※
5
28
0.71
0.57
0.43
0.86※
6
12/10
0.71
1.00
0.57
0.57
7
22
0.57
0.57
0.43
0.43

 表が競馬を行った日とそのときの回復率を馬別にまとめたものである。4頭ともに1マイル110秒の力を持っているので能力はほぼ同じ。どれにも競走に勝つ機会はあった訳だが、MTは出走後の回復が終始思わしくない。どこかでひと息いれないと凡走のくり返しに終わる。HSも似たようなもんだが、後半になって少しだけ盛り返した。目覚しいのはMGで、初出走が刺激になったのか、以後4回連続して順調にいい回復率を示している。HRは追い切りの好成績通り、初めての競馬で調子のいいところをみせたが、その疲労がいちどきに出たものか2走目はまるでいけない。回復率が極端に悪くなっている。再び勢いを盛り返すまでにそれから4戦を経験しなければならなかった。今様にいうとこの形が「2走ボケ」に当たるのである。

 実際に「2走ボケ」は時折おこることであるが、原因は明らかでない。前走の好成績からファンはもとより、厩舎側も期待をかけていたのが全く無惨な負け方をして人々を落胆させる。多くのものはその後もしばらく低迷するものだが、その有様は表のHRとよく似ている。競走馬の疲労は思いのほか回復に手間取るものだ。とりわけ神経質な馬や競走疲れした古馬では、しばらくの休養をとって楽をした後の初の勝負の疲れ方がひどい。長い勝負生活をねぎらう意味で数ヶ月の休養を取らせた古馬が、休み明けの1回目にポンと勝って積もり積もった以前の疲れが完全に癒えたと厩舎側をよろこばせたのが、2回目にだらしのない負け方して「なんで負けたのか理由がわからない」と溜息をつかせる。休み明け1回目の出走は続けて勝負をしている時よりもはるかに疲労がひどく、回復に手間取る事を考えにいれて十分にねぎらわないと次の競走の途中で疲れがぶり返してバテてしまう。若い馬に「2走ボケ」が少なく、6歳、7歳の古馬に「2走ボケ」がよく見られるのは、このような理由による。ボケているなどと評するのは一所懸命に働いた馬に気の毒な気がする。1走目の疲労残りとでもいってやるほうが温情のこもった表現であろう。

かつぶー≫これはいくら研究したといっても、各馬それぞれなのでこの馬がこのタイプに当てはまる、なんてのを見抜くのは私等には無理な事です。厩舎でさえわからないのだから。多分統計とってもダメなんじゃないですかね。

競馬の科学より 2.2

馬のイチモツはなぜ大きいのか?

 モノがモノだけに相当激しいのではないかと想像してしまいがちだが、案に相違して意外なくらいにアッサリしているのが馬のセックス。
 受け入れ態勢のととのった牝馬のソコに、牡馬はバックから乗りかかるようにして巨大なイチモツを挿入。猛々しいピストン運動が果てしなく続けられるのかと思いきや、その回数はといえばわずか7、8回程度。時間にしても秒の単位でコトは済んでしまうというのである。あっけないというべきか、慌しいというべきか・・・。

 では何故このように馬のセックスは短時間でなされるのか。
 その理由は、野生の馬が生き延びるために大切な事は何であったのかを考えれば、自ずと見えてこよう。つまり常に襲われる立場にある野生の馬にとって大事なのは、身に迫る危険をいち早く察知し、そこから逃げさること。セックスの快楽にひたっている余裕など、野生の馬は持ち合わせていなかったというわけである。

 セックスに費やす時間は短ければ短いほどよかったのが、馬という動物。彼等のイチモツが大きいのも、それによって刺激を受け、たちまちのうちにオルガズムに達する必要があったからだといわれている。

かつぶー≫ということはモノのでかい人間は早いという事なのだろうか・・・その後のコメントは控えさせていただきます(笑)

競馬おもしろ雑学時点より 1.24

強い馬が出せる種付数の限界。

 ある1頭の種牡馬の産駒が次々にレースを制すると、その種牡馬には人気が集中する。だが種付け頭数を増やし、数年後、出馬表に同じ種牡馬の名前が溢れ返るようになると、ぱったりとその種牡馬の仔はビッグレースを勝てなくなる。
 そのような現象に気が付いた事はないだろうか?
 我が国では単年度当たりの人気種牡馬の種付け頭数が諸外国に比べて特に多く、その現象もはっきりと現れる。
 トウショウボーイはどうだっただろうか?
 ノーザンテーストは?
 ミルジョージは?
 テスコボーイは?
 マルゼンスキーは?
 スイフトスワローは?
 間もなくリアルシャダイも仲間に入ることになる。

 馬産の関係者として、個人の種牡馬についてあれこれケチをつけるようなことはしたくないのでいちいちデータを挙げつらうことは控えるが、突然ぱったりと走らなくなった赤信号の種牡馬は数多い。1頭の種牡馬が一生の間に有効に能力を伝える事の出来る種は、その数が限られているからこそ高価なのである。
 外国の種付け頭数は多くても年40頭で、18歳を超えると年20頭以下に減らす。5歳から17歳で産駒の競走成績は衰えず好成績を残すが、日本の人気種牡馬は年80頭も種付けする。ほぼ9年で720頭を超える事になり、それ以後は牝馬しか能力を示さない傾向が現れ、やがてはまったく走る馬が出なくなる。
 720頭を超える頭数の種付けを済ますと、その産駒(牡馬)の闘争本能は著しく減少し、競走能力が明らかに低下する。これはそれ以上同じ血族を増やす必要が失われるからである。

 720頭という数字の由来を少し説明しておく。アメリカでシンジケートの株数の話題になった時、相手のオーナーが株数は30~40株が適当じゃないか、と我々にサジェスチョンしたのである。
 「日本では40~60株がほとんどだけどね」
 と私が言うと、
 「そりゃあ多すぎる。720頭を超えるのに9年しかもたない」
 この頃はまだ720頭という数字は初耳であったので、思わずどういうことなのかと私は聞き返した。
 「アメリカでは誰でもいうが、何でも野生馬のボスの種付け総数だって話さ。本当かどうかは知らないけどね」
 そう言って彼は我々にウインクした。

 私が後から調べたところによると、野生馬のボスは最大で350~400頭の仔の父になる。すると受胎率の62.5%(この数字についても根拠はあるが、ここでは述べない)から逆算すると、種付け総数が720頭というのは十分にうなずける数字である。
 そして現実にそうした種牡馬の産駒が競馬場であえいでいる姿を見れば、この数字は信じざるを得ない。

かつぶー≫さて、サンデーサイレンスはどうなるんでしょうね・・・

秘密の日本競馬「血とコンプレックス」より 1.17

寿命はどのくらいか。

 典型的なサラブレッドの寿命は20年である。他の品種と交配すると寿命はわずかながら延びる。人間と馬の年齢の相対的な関係を大雑把に示す事は可能だが、これはあくまでもおおよその指針にすぎない。

人間の年齢
20
40
50
60
70
80
90
馬の年齢
5
10
15
20
25
30
35

 労役に使われる馬は、およそ17歳で老いてしまう。ふつうはまっ先に脚がダメになる。さらに老いると灰色の毛が頭、それも特に眼と鼻づらの回りに生え出し、眼のくぼみがさらにおちくぼむ。そして瞼にしわが寄り、唇のしまりが悪くなって口からだらしなく垂れ下がるようになる。また背中がどんどんおちくぼみ、歩き方もギクシャクしてくる。

 馬の寿命の最高記録は平均寿命よりも驚くほど長い。世界記録は62年で、1760に生まれて1822年に死んだオールドビリーという馬ののものである。オールドビリーは2輪軽装馬車用の異種交配種で、ランカシア地方のウォーリントン近くの運河で平底荷船を曳く仕事に使われていた。勿論その時はすでに一人前の仕事は出来なくなっていたことだろう。しかしそのように高齢な馬を肉体労働に従事させることは、150歳の老人に肉体労働を要請するようなものである。このオールドビリーはきわめて例外的な馬だったのか、昔の記録ではよくあるように故意か偶然に2頭の馬の記録が一緒にされてしまたかのいずれかだろう。

 ポニー種の寿命の最高記録はフランスで記録された54年であり、サラブレッドの記録は42年(オーストラリアのタンゴデューク号、1935~78)である。それ以外の例外的な記録としては、やはり平底荷船曳き用の馬の61年、狩猟馬の52年、43歳でも働いていた農耕馬などが知られている。それぞれ39 歳、37歳、35歳まで生きた馬を所有していたという例があるが、それはその人の管理が並はずれて優れていたことを意味している。しかしこれらの例はきわめてまれなケースであり、自分の馬がそんなに長生きをしなかったからといって悲観する必要はない。どんな馬でも20年~25年も生きれば立派なものである。

競馬の動物学より 1.12

地見師。

 買えば買うほど損をする、生まれついての馬券ベタ。そんな人でも絶対に損をしない究極の競馬必勝法―というのとは違うが、確かに損をする心配のまったくないのが地見師(地見屋)の仕事。

 ただひたすら他人の捨てた馬券を拾い集めて、そこに当たり馬券が紛れ込んでいるのを期待する。地面ばかり見て歩いているからその名がついたという。なにせ元手がかかってないのだから損をするわけがない。

 上位入着馬の失格、降着に馬番と枠番の勘違い。当たり馬券が捨てられやすい状況が揃って、ここにきて地見師の仕事が大繁盛かと思いきや実情は全く逆。「確定するまで投票券は捨てないで下さい」の例のアナウンスの効果があってか、誤って捨てられる当たり馬券はグッと減ってきているとか。
 きわどい写真判定になった時には、すかさず大声で外れてる方の目を連呼して当たり馬券を捨てさせる、といった事も昔は行われていたようだが、最近はこれもさしたる効果は期待できないという。競馬ファンも昔に比べてずっと冷静になってきているということか。

 プライド捨てなきゃ出来ない地見師の仕事だが、大事なものを捨てる割に実りある拾い物は期待できなくなったようで・・・

かつぶー≫私は競馬場には滅多に行かないのでその情景は見たことないんですが、最終レースが終わってスタンドをじっと見ていると地見師が馬券を捜し歩いているところを目撃できるんではないでしょうか。ウインズなんかでは時々自動払い戻し機の「この馬券は的中していません」の声が延々と続いている事があります。それは多分拾った馬券を当たり構わず払い戻し機にかけているんだと思います。地見師という仕事だったら、もっとそういう人はプライド持って欲しいですよね。そういう何でも機械にかけて他人に迷惑かけるのはよくないですよ。結果は頭に入っていて、ぱっとみたら当たりか外れかわかる、こういう風でしたら立派な仕事として見れますよね。

競馬おもしろ雑学時点より 1.2