新潟1000m。
さて今週から夏競馬、2年ぶりに改装工事の終わった新潟競馬場で開催が行われる事になる。皆興味のあるところは直線だけの1000mの競馬だろう。今日の報知新聞には岡部騎手、森調教師が次のような見解を出している。
岡部騎手・・・「直線コースはいつでも仕掛けられる状況。かといってスパートが早ければ失速してしまう。仕掛けのタイミングがとても難しい。また道中の不利もほとんどなくなるのだから言い訳も出来ない。今までカーブの下手な馬が直線コースで変身することがあると思うし、スタンドに近いラチ沿いは圧迫感があるので、追い込む馬にはどうか。」
森調教師・・・「流れがなかなか落ち着かないから、息の入れ方が非常に難しいようだ。さらに馬の集団が内と外に離れるから(この馬を交わせば勝てるという)目標を定めにくい。騎手の技量が着順を大きく左右するだろう。」
藤沢調教師・・・「「逃げ馬には流れがきついうえに、目標にされる。タイキシャトルの場合も行きたがる気性だから、首をスタンド方向に向けて気をそらし、先頭に立たない工夫をした。」
■新潟競馬場直線1000mコースの高低差

という風な見解ですが、私もほぼ同じ考えですね。これは騎手の技量が大きくモノをいいそうな気がします。まず短距離戦ですから出遅れはいくらコーナーがないといっても致命的。またいかに真っ直ぐ走らせることができるか、というのも大きなポイントではないでしょうか。直線だけに右や左に動いていては距離ロスですし、ここで不利を受ける(与える)ような騎乗をする騎手は下手というレッテルを貼られたようなもの、といっていいでしょう。
上図は新潟の直線1000mの高低差、勾配を現したものですが最高で1メートルくらいの上がりでほとんど平坦といっていいでしょうね。差しや追い込み馬はコーナーによるコースロスがなくなるという利点はある。だがそれだけで単に差し追い込みが有利になるという事はいえないと思います。残り400mは平坦ですしなにせ1000m戦、前もそう簡単に止まるとは考えにくいですから。最初の馬場のいい時期は内外散らばるでしょうが、馬場が悪くなると先行馬はいいところに集まってくるのでコースロスも出てくると思います。
まぁ最初は傾向を知るために様子をみるのが得策ですかね。また番組もそう多くはないですからあまり深く考えなくてもいいのかもしれませんけどね。
2001.7.11
白斑。
主に頭部(額や鼻面)と脚に現れる白い毛色。これらの白斑は個々の馬の著しい特徴になるため、血統登録証書にも詳しく記載される。
■頭部の白斑
頭部の斑点は全部で35種類あるが、大きく分けると次の通り。
星
白斑で額にあるもの。
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流星
星が鼻面も方に流れているもの。
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環星
額にある白斑で輪になっている。
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鼻白
鼻にある白斑。
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鼻梁白
鼻梁にかかる白斑。
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流星鼻梁白
額から鼻梁にかけて続く。
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作
額から鼻梁に続く白斑で、鼻骨の幅を保ち、真っ直ぐなもの。
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白面
額から鼻にかけて続く白斑で、顔の半分以上が白いもの。
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刺毛
白い毛が散在しているもの。
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■脚部の白斑
微白
脚下部の白斑で、直径は大体母指(おや指)頭大以内のものをいう。
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小白
脚下部の白斑で、大きさが蹄冠の半ばに達していないもの。なお、散在する場合でも数は記入しない。
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白
脚下部の白斑で、大きさが脚の全周に及ぶもの。蹄冠に達していなくても球節以下にあって、脚の全周に及んでいるものは白と記載される。
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長白
脚下部の白斑で、その長さが管の半ば以上に達し、幅が管の周囲の1/3以上のもの。なお、白斑が脚の全周に及ばないものは半長白という。
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■白斑にまつわるジンクス
■嫌われる「三白」
4本足のうち、3本に白斑が入った馬は通称三白といい、嫌われる。理由は定かではないが、なぜか走らない馬が多い。
■走る「左後一白」
逆に走るといわれているのが、左後ろ脚だけに白が入っている馬、通称左後一白だ。一流馬に出世することが多い。代表的なのが七冠を制したシンボリルドルフだ。「三白」にしても「左後一白」にしても、もちろん医学的根拠はないのだが、実際その傾向があるからおもしろい。
かつぶー≫あと毛色などありますけど、これで大体馬の外観での特徴がわかると思います。4白流星といったら4本足全てに白の白斑、顔に流星の白斑があるということですね。
「競馬ハンドブック」より 2001.6.20
どれくらい賢いか(クレバー・ハンス)。
「馬は人間に賭けたりしないから賢いに違いない」という古い諺がある。では実際に馬はどれくらい賢いのだろうか。さる有名な馬術家が、馬の「頭にはたいしたものが詰まっているはずがない。さもなければほんの一瞬でも人間を背中に乗せたりはしないだろう」という意見を表明したことがある。確かに馬が二本足の仲間に寄せる伝説的な協調性をみると、馬が賢いとは思えない。その協調性は、馬達を何世紀にもわたって厄介ごとに巻き込んできたにすぎないからである。しかし馬が喜んで人間に使われるのは、実は馬本来の群れ行動の一部にすぎない。馬はきわめて社会的な動物であり、自分達の種のボスの命令には素直に従う。したがって強力な人間に従順に従うからといって特に驚くべき事ではない。先に紹介した著名な馬術家の意見はともかく、馬はきわめて賢い動物かもしれないという可能性が馬の行動のそうした側面によって除外されるわけではないのである。
馬の識別能力を明らかにしようとした研究によって、いくつか注目すべき結果が得られている。四角形と円、円と半円、三角形と斑点といった一組の図形を見せてどちらか一方の図形を選んだときだけ報酬として食物を与えると、馬は報酬が得られる方の図形を選ぶ事をとてもすばやく学習する。20組の異なる図形を見せたところ、馬は20組すべてを識別したという(それに比べるとロバは13組、シマウマは10組だったという)。それだけでなく馬によっては100%全問正解のものもいたというし、最低でも難しい1組の問題を課した場合の73%だったという。それよりもっと驚くのは、識別訓練を行ってから1年経っても 20組のうちの19組についてはまったく記憶が薄れていなかったという事実である。これほどの記憶力を持つ人間はほとんどいないだろう。こんなにも馬の記憶力がいいのは、まわりに生えているこの植物はおいしくて、これには棘があって、これはまずくてあれには毒があるということをいったん学んだら全て記憶しておくことが野生の馬にとっては死活に関わるからである。馬にとってはそういうことを単に覚えるだけでは不十分で、植物の1年の生長周期が何度も繰り返すくらい長いあいだに記憶しておくことが重要なことなのである。
身のまわりにあるちょっとした手がかりを識別する馬の能力がどれくらい敏感かは、賢いハンス(クレバー・ハンス)と名づけられた「計算する馬」の有名な逸話が良く物語っている。その馬は簡単な計算をこなし、蹄で床を叩くことでその答えいうとされていた。調教師から2×3はと質問されると、トントンと床を 6回たたくといった具合である。それを見た観客は一体どうなっているんだとただただ驚いた。ハンスを調べようとした人達は、最初は調教師が手がかりを与えているの違いないと考えた。そこで調教師に馬から見えないところに引っ込んでいるようにと要請した。ところが調教師がそばにいなくてもハンスの答えは正しかった。一体どうなっているのだろう。次なる手立ては観客を退場させて、ハンスをスクリーンの後ろに隠す事だった。そうしたところ、ハンスは計算をしなくなった。これで事態がはっきりした。
つまり賢いハンスは床を打つ数が正しい答えに近づくにつれて、そばにいる人間の態度や表情にちょっとした変化が表れるのを敏感に察知することができたのである。観客は全員が正しい答えを知っているため、馬の床打ちが正しい答えに近づくにつれて明らかな緊張をみせる。ハンスにしてみれば答えが間違えそうになると観客が息をのむため、そこで床を打つのを止めれば出された答えがあたかも正しい答えを与えたかのように見えるわけである。そのためそばに人がいないと、いつまでも床を叩き続けるしかないことになる。しかしこの種明かしをされた後でも、ハンスは正しい答えを出す事が出来る。どうやら人間にとってはボディー・ランゲージによって自分の気持ちを表す事は、(ポーカーのプロでもない限り)たとえやめようと思ってもやめられるものではないらしいのだ。そして馬は相手の筋肉の緊張や体の姿勢のわずかな変化に関して信じられないくらい敏感な動物であり、無意識に表れる微妙な変化でさえも感づくことができる。
それほどの感受性をそなえているにも関わらず、競馬や障害飛越競技において馬達が優秀な騎手の手綱さばきにかなり素直に反応するのは不思議な事である。競走馬はレースの終盤で自分が先頭付近を走っている場合、最後の1ハロンを走る間中鞭打たれることになることをすぐに学ぶはずである。それとは反対にどうやっても勝てそうにないほど後ろ位にいる場合には、他馬の後ろをついていくだけで鞭で打たれることはないことも知るはずである。たびたび勝利を収める優秀な競走馬はほとんど走るたびに鞭打たれて苦痛を味わっているわけであるから、最良の競走馬は馬の世界ではいちばん頭の悪い馬なのではないかという結論もでてくる。それも同じく最良の障害飛越馬ならば、障害を全てクリアーすればさらにそれと同じ事をやれと命じられるのに対して、障害の半分をひっかけるなりいかにも恐ろしそうな飛越に対してしりごみした場合には、もうそれ以上は苦行を続行するよう命じられる事はないことをすぐに学ぶはずである。愚かな馬や飛越という儀式を楽しんでいる馬だけがそういうことをうまくこなせるのだといえなくもない。
かつぶー≫どうなんですかねぇ、知っているのは馬のみですな(笑)。逆に走らなければ淘汰されるのを知っている、としたら鞭打たれた位では反抗しないんじゃないですか。だとしたらかなり酷いことを私たちはやっているのだろう、ということになりますね。
「競馬の動物学」より 2001.6.14
競馬の予想とは厳しいもの。
僕は自分の予想は必ず買うが、その予想が当日のオッズで300円以下だったり、当日その馬を見てちょっと違うかなと思った時は、そのレースは見送るか、ハズレだとわかっていても予想の通りに馬券を買うかのどちらかです。自分の予想を変える事は決してしない。それはやはり予想屋としての本分だと思う。
当日の気配を見て、いままで予想していたのをコロっと変えて、いや思ったより配当がいいからこっちにする、なんて買う人もいるけれど、僕はそれは間違っていると思う。その人が人気のない予想屋ならいいけれど、人気があればそんなことをしてはいけない。買わないのが精一杯だ。昔から新聞記者の予想というのは、新聞紙上で予想と本人が買う馬券とは違うといわれている。予想はこうだけど馬券はこうだ、というふうに二つに分かれているという批判がでているは、僕の先輩達が平気でそんなことをしていたからなんだ。
プロとしていえば、予想というのは自分の命なんだよ。
いろいろなパターンで推理して勝ち馬はこれだと思ったら、そんな二つの考え方が起きるわけがないんですよ。当日にならないと競馬はわからないというなら、紙面の中に予想をつけるのはやめなさい、一般のファンと同じように馬券を買うに留めなさい、と僕はいいたい。僕達の印を見て、じゃ、こうしようなんて思っている人に申し訳ないという気持ちになるんだ。信じて馬券を買っている人達に何と申し開きをするんでしょうかね。
ところで、新聞社にはそれぞれ方針があって、わざと穴をつけさせられる人もいるわけで、そんな人にはちょっと可哀相な気もする。誰かの予想が当ればいい、というところがあるから会社としては色々な予想を出してもらったほうがいいんです。だけど穴をみつけるといっても、何の根拠もない馬に穴の印をつけるものおかしな話で、やはり穴が出そうもなく順当に決まりそうなレースレースには手堅い予想もつけなければいけない。予想は難しいものなんです。
たとえば9頭の最終登録があったら、9頭すべてにいちいちあたらないと聞き込み予想というのは成立しないと思うんですよ。聞く馬がいたり聞かない馬がいたりしたら予想の上ではバランスを欠くと思うんです。だから出走馬が150頭いれば150頭の関係者に状態を聞いて、それから最終的に自分で判断するということが必要になる。まず土、日の2日間で24頭の勝ち馬がでるとしまうよね。要するに連対する馬を含めて50頭が馬券の対象になるわけです。だから予想が全勝するためには、2日間で300頭くらいの登録のある中から50頭を射止めなければならないことになる。
しかし一人で取材するのには限度があるでしょう。厩舎に行って「はい、こんちは」「はい、さようなら」というようなわけにはいかないので、いろいろ話をしながら「ところでどうですか」というような話になってくる。しかし時間的にも制約があって、とてもじゃないけど一人ひとり回ってそんな話を聞いてくることは出来ませんよ。だから聞き込み予想といっても比較的話のしやすい、親しい調教師のところへつい行ってしまうわけですが、一人に聞いてほかの人に聞かないといういうんじゃ予想にはなりません。
結局、予想というのはあくまでも自分なりのものであるべきで、人から聞いた話を集めて適当に補足しただけで馬の能力うんぬんということの研究をするくらいなら、一切聞かないほうがいいというのが僕の流儀なんですよ。
かつぶー≫これは新聞での予想屋のことをいっているので、私等単なる競馬ファンには関係ないと思います。しかしただの1ファンでもこうやってHPで予想を公開している以上は私は上記と同じ考えです。なので馬券は当日になって変えて買う事はないです。私はプロでもなんでもないので予想が「命」というところまではいきませんけど、予想を出している以上はある程度の責任は持ちたいと思っています。そこまでする必要はないでしょう、というの方もいるでしょうけどね。
しかしこういう考えの人間は大変ですよ、結構そのために逃した馬券も多いですからね(笑)。
大川慶次郎著 「最強の競馬学」より 2001.6.6
プロ馬券師の苦悩。
競馬の予想を業としている人達がいる。スポーツ新聞を開けば会員制の予想やダイヤルQ2による有料情報、その他、競馬場やウインズの近くには露店の予想屋さんもいるし、地方競馬には場内に公認の予想屋さんがいる。この人達の予想の成績はどうだろう。短期間ではプラスになることはあっても、コンスタントに黒字を出す事は少ないと思う。なぜなら本当に儲かるのであれば、人に予想を教えなくても自分で馬券を買えば良いからだ。
横浜に住むOさんは昨年の夏、それまで10年近く勤めていたコンピューター会社を退職した。そして大井、川崎、船橋、浦和という南関東地区の地方競馬に稼ぎの場を求める事になった。Oさんには奥さんと幼稚園のお子さんがいる。親子3人、Oさんの馬券の収入で生活しようというのだ。Oさんも数年前までは、仕事が休みの土・日曜に中央競馬を楽しむ普通の競馬ファンだった。馬券の成績は五分五分、25%の控除率を考えれば立派な成績だ。
ところが大井ナイターが始まると、会社の帰りにも競馬場通いが始まった。そして毎日のように通っていると、馬券の成績もプラスになることが多くなってきた。休日にも横浜ウインズを素通りし、大井や川崎に出掛ける日が増えるようになった。ところが1年半ほど前のある日、Oさんは会社の車を運転中に交通事故に遭ってしまう。怪我は幸い軽いものであったが、勤務中の事故のため労災が適用になり、幸か不幸か仕事に行かなくても給料が貰える身分になった。「気のせいか首がまだ痛い。」そんなことを言いながらOさんは競馬場に日参するようになっていた。馬券の成績は極めて優秀、ついに会社を退職し馬券プロとして身をたてることにしたのだ。
Oさんは規則的な毎日を送った。朝8時には自宅を出て、夕方6時には帰宅していた。家族には知人の会社を手伝っていたことにしていたらしい。その規則正しい生活と同様に、見た目も普通のサラリーマンと何ら変わる事がなかった。スーツこそ着ていないが、電車に乗って文庫本を読んでいる姿に勝負師の影は感じられなかった。それではOさんの仕事振りを紹介していこう。
Oさんの予習は前日の2時間。30分ほどかけて出馬表にざっと目を通す。そして残りの1時間半は各馬を数値化することに費やす。Oさんの予想の基本は走破時計か。そうではなかった。全種類の専門紙の予想印を数字にする作業だ。さらに専門紙のシェアによりその数字に一定の係数を掛ける。それをどんどんパソコンにいれてゆくのだ。コンピューター関係の仕事をしていたOさん、さすがに手際が良い。あとはコンピューターが、そのレースの予想オッズを計算してくれる訳だ。そしていよいよ競馬場へ出勤となる。
競馬場についたOさん、意外な所へ立ち寄った。場内の予想屋さんから1日分の予想を買ったのだ。それも3個所である。「馬券で生活しようとする人が予想屋さんを頼りにするなんておかしいでしょう。ここには30人位の予想屋さんがいますが、予想を買った3箇所は馬の実力をきちんと評価することにかけては間違いありません。私が自分でやった方が良いのですが、膨大な作業量になるし”3人寄れば文殊の知恵”なんていいますしね。この予想屋さんたち、おそらく十分に馬券で生活してゆけるだけの実力がありますよ。但し台の上で売っている予想はオッズが出る前の予想ですから、この予想通りに買ってもプラスになるまではいかないでしょうけど」
ここからはOさんの頭の中にあるコンピューターが動き出す。実力的に足りると思われる馬の中から想定オッズと実際のオッズを比べて勝負気配の強そうな馬を軸にもってくるのだ。だが、これ自体は別に珍しい方法ではない。一般の書店で売っている必勝本の類でも「オッズが下がったら買え」というようなことがよく書いてある。Oさんの話を聞こう。
「オープン馬と未勝利馬が一緒に走るわけじゃないし、例えば2000mを2分ちょうどの馬と2分1秒かかる馬では、どのくらいの実力の差があると思いますか。1秒差なら5馬身差、そう考えれば大きな差ですが120秒と121秒、こう考えればそれほど差はないでしょう。それなら勝負気配の強い馬を狙った方が良いですよ。予想されるオッズより実際のオッズが低いというのは、いわゆるインサイダー情報で馬券が売れているという事ではありません。馬の出来、ローテーション、騎手の乗り変わりや装蹄などからファンが判断するわけです。特に地方競馬には目が利くファンが多いですからね。」
地方競馬では締め切り5分前ぐらいになってからオッズが大きく動く。Oさんの勝負はここからの5分間。短い時間の中で頭をフル回転させ、オッズの動きをじっと見る。そして今までの経験に基づいて勝負するかどうかを決める。この5分間でどう判断するかがプロとアマチュアの違いだ。予想屋さんに頼っているとはいえ各馬の実力を把握した上でオッズの動きを見る。この5分間の推理のプロセスは「とても言葉では表現できない」ということだ。
Oさんに話を聞かせて貰った日も4レースの730円を2点で、6レースの1150円を3点で的中させた。最終レースでは失敗したようだが「最終レースは敗者復活戦ですからオッズの動き方が少し違うようですね。人間の心理は難しいものです。まだまだ修行が足りません」と笑っていた。具体的な金額は教えてくれなかったが、目標額は充分にクリアしたようだ。こうしてOさんの馬券師としての毎日は順調に行っているようであった。
そして6ヶ月余が過ぎ1年で最も寒い季節を迎える頃、Oさんは競馬場から姿を消した。久しぶりに会ったOさんは少し痩せたように見えた。警備会社でガードマンの仕事を始めたという。
「参りました。完敗です。3ヶ月くらいから的確な判断が出来なくなってきました。胃の痛む毎日が続いて体をこわしてしまいました。予想のプロセスが間違っていたとは思いません。しかし生活を賭けるというのは相当なプレッシャーです。競馬というのは当れば喜び、はずれてしまえば残念、そういうものだと思っていました。ところが当って当然、はずれたら路頭に迷ってしまうという状況での勝負は身を削る思いです。収入は確かに増えましたが、競馬がこんなにつらく苦しいものだとは思いませんでした」
現在もOさんはガードマンの仕事を続けている。最近ようやく体調もよくなり、競馬場へ遊びに行く余裕も出てきたようだ。「競馬場に行く日は前の晩からとても楽しみにしています。プロとして通っていた時は、競馬に行くのが憂鬱な毎日が続いていました。楽しみを仕事にしてしまうということは良さそうに見えますが、失うものが大きいという事が良くわかりました」
かつぶー≫私も「馬券で生活できるのか」なんて企画やってますけど、本当なら買わないような馬券を買ってますね。それでも当らないとガックリくるのですから実際やったとしたら全く違う馬券、買い方、プレッシャーになるんだと思います。真剣に考えれば考えるほど競馬は難しいし、当らないとそのショックは大きいものになると思います。
競馬場は宝石箱より 2001.5.31
なぜ蹄鉄は幸運をもたらすのか。
蹄鉄の装飾は世界中で見られている。かわいいブレスレットやキーリングにされたり、ウェディングケーキの飾りにされたり、グリーティングカードに描かれたり、あらゆる種類の乗り物につけられていたりする。地方によっては本物の蹄鉄を家のドアに釘で打ちつけたり、建物の外壁やことに厩舎の入口に飾ったりしているのが今でも見られる。ネルソン提督がスペインの無敵艦隊を撃破した際にそうしていたように船員は船のマストに蹄鉄を取り付けることがあるし、タクシーの運転手でさえ自分なりに蹄鉄にまつわる迷信をもっている。タクシーの車両番号にUの字が入っていると安心できるといった形をとっていたりするのである。この場合のUの字は、蹄鉄を象徴している。
どの場合も蹄鉄は同じ意味を持っている。安全を保障し、幸運をもたらしてくれるものという意味である。しかし何故そんな意味をもつに至ったのだろうか。大抵の人達は別段意識もせずに由来に疑問を抱かないまま蹄鉄を幸運の象徴として受け入れているにすぎない。この迷信の起源に迫ろうとした人達の意見も分かれている。いちばん単純な意見は、それは蹄鉄を馬の脚に取り付ける本来の目的を単に踏襲しただけであり、蹄鉄に保護効果を求めているのだというものである。地面が馬の足を痛めるのを防止するなら、過酷な世界が我々に害をなすものも守ってくれるのではないかというわけである。
この説は、蹄鉄がもつ一見不可思議な特性に支えられている。なぜ不可思議なのか。それは蹄鉄が馬の蹄に取り付けられている場合、真っ赤に熱した蹄鉄を釘で打ちつけるというのに、馬は全く痛みを感じないからである。この事実は馬の足の構造があまりよくわかってなかった時代に装蹄作業を目の当りにした迷信深い人達にことさら強い印象を与えた。
不可思議さをいっそう強めるにあたっては、蹄鉄を装着に七本の釘を使う場合が多いことも関係した。もちろん7はラッキーナンバーである。そしていちばん重要なのは、蹄鉄は鉄で作られているという事実だった。鉄は悪魔を寄せ付けない魔法の物質だった。鉄器の加工が始められた当初から、鉄には邪悪な心を追い払う力があると考えられていた。だから多くの人々にとっては、復讐の女神ネメシスのたたりを免れるために「木にさわる」よりは「鉄にさわる」ほうがしっくりいったのである。自分の家や厩舎の外壁に蹄鉄を釘で打ちつけることには、暗闇の力がそこの住居者に害を及ぼさないようにする働きがあると考えられていたのである。
これでドアに鉄製品を打ち付けることは説明できそうである。しかしよりによてなぜ蹄鉄でなければいけないのだろうか。その理由は蹄鉄の形にある。蹄鉄の腕の部分を上に向けて、ちょうどUの字状になるように取り付けると、その腕の部分は二本の角状になる。建物を守るために角を飾る事は、すでに数千年の伝統をもつ習慣だった。建物に飾る角は、もともとは古代の角を有する神の角を象徴するものだった。しかしそれは異教の神であり、角を有する神のイメージはその後キリスト教徒によって悪魔のイメージへと換えられて冒?されることになった。悪魔は憎むべき敵ではあるが、その角だけは現在に至るまで身を守ってくれるものとして重宝がられてきたのである。現に指で角の形をつくるのは今でも幸運のまじないとして使われているし、防御のジェスチャーとしても使われている。また本物の二本の角を建物、それも特に農家の建物の上に取り付ける習慣は、地中海域で多く見られる。建物に蹄鉄を生やすことは、たいていはそうしたイメージの単なる模倣なのである。
ことあるごとにシンボルの乗っ取りを絶えず行ってきたキリスト教徒だが、幸運の蹄鉄に関しては異教的色彩の脱色に全力を投入した。蹄鉄を釘で壁に打ち付ける場合には、C字型になるような向きにしなければならないとされた。そのように取り付ければ、Cの字がキリストの頭文字になり、これこそがこの習慣の本当の由来であると説明しやすくなって古い異教徒の儀式をキリスト教にとって安全なものに変えてしまうことができたからである。
Uの字を逆さにしたような向きで蹄鉄を釘づけしたがる人もいる。この向きは特に身を守る効果があるといわれている。一部の国では、U字型の向きで取り付けた蹄鉄(特に幸運をもたらすと考えられている)と逆U字型の向きで取り付けられた蹄鉄(特に身の安全をもたらすと考えられている)との違いが区別されている。逆Uの字は、女性性器を象徴していたものだといわれる。女性性器の象徴を家の外壁に飾るなんてことは考えられないと思う方は、中世の教会の多くはドアの上に紛れもなき女性性器のイメージを飾っていることを思い出すべきだろう。「シーラ・ナ・ギグス」と呼ばれる評判の芳しくないそれらの像は、何の手段も講じなければ教会の中に侵入して大騒ぎを生じさせることになりかねない邪悪な心を避けて通らせるはたらきをする「散心」として役立つと考えられていたものである。逆U字型の向きで取り付けられた蹄鉄は、象徴的な意味合いは弱いが、教会入口上の像よりは婉曲的で受け入れやすい代用品としての役割をはたしてきたのである。
それが特別な性的意味合いを伝えているという事は、18世紀当時に使われていた俗語的表現からも明らかである。英語の「蹄鉄(ホースシュー)」という言葉は女性性器を意味する俗語として使われていたし、ドイツ語で彼女は「蹄鉄(フーファイゼン)を失った」といえばその娘は貞操を失ってしまったという意味だった。
もっと邪気のないところでいえば、蹄鉄を清浄さの象徴とみる人もいる。湾曲したその形が光輪を表しており、家に吊るしておけばその光輪が住人を聖なる光で守ってくれるというものである。最後の説として蹄鉄の形は三日月と関係があり、天上の月の女神の庇護があおげるのだというものもある。
幸運を呼ぶ蹄鉄という迷信を現代にもたらすにあたってこれらの要因のうちのどれがいちばん重要な役割をはたしたにしろ、たくさんの象徴的な要素がより合わさってそういう迷信を生んだ事は間違いない。その理由については何も知らないまま、常時何百万もの人達が使っているというのが人気のあるお守りの定めであり、驚くにはあたらないことである。
競馬の動物学より 2001.5.23
夜目。
馬体の名称は人間の身体の名称と違ってちょっと耳慣れない呼び方も多いかと思われますが、その中でも馬の脚もとに見られる「夜目」というのは実施に触れてみた人でなければわからないツメのような角質で、その馬ならではのもの。
夜目は前肢の内側と後肢の内側に見られる4~5cmの大きさの角質で、その形や表面の紋様は馬によってそれぞれ違うようです。もしかすると人間の指紋のようなものかもしれません。何のためにこのような角質がついているのかはよくわかりませんが、昔の言い伝えによれば、読んで字のごとく馬が暗がりを平気で歩くことが出来るのは、夜目があるからだろうというわけです。
馬体の名称は馬そのものとはよく照らし合わせて考えれば大体理解できるものですが、夜目だけはいかにも動物らしい進化し忘れた何百年前の名残りの一部のような気がしてなりません。
馬主さんが大レースに向けて素晴らしい仕上がりをみせている愛馬に大きな期待を寄せ、毎日厩舎へ足を運んでいました。レースを前日に控えたある日、愛馬の脚元に何気なく目をやると”夜目”に気づいてビックリ。こんな大切な時に一体何ができたのだろうと大変なショックを受けたところ、「それは夜目ですよ。レースでは何の影響もありません」と言われて口が開いたままだったという笑い話もありますが、こうした馬主さんや乗馬をする人にも「夜目」は意外と知られていないものですね。
かつぶー≫下に載せている「馬の各部の名称」の下の方の馬の絵を見てもらえばわかると思いますが、前足の内側に小さい丸がありますよね、それが「夜目」または附蝉(ふぜん)といわれている部分です。本当は後ろの脚にもあるんですけどね。たまたま下のやつでは紹介していなかったのです。
しかし何なんでしょうね?上の言い伝えはどうかわかりませんよねぇ、馬の目はネコと同じよう反射装置を備えていて、シマウマの群れは夜明けや薄明かりでも活発だそうですから。しかしその馬主はしょうがないですねぇ、毎日厩舎に来てて何見てんだろうってな感じですかね。
The Horse-Back Ridingより 2001.5.17
アメリカン・ダミー。
現在、世界中のサラブレッドの中で1番強いのははっきりとアメリカ産馬である。その証拠に、かての先進国であるイギリス、フランスのGⅠをアメリカ産馬が猛烈に勝ちまくっている。
アメリカが馬産に巨大な資金を投入し、生産、育成、管理技術とともにヨーロッパを越えたということも事実であるが、ガラス玉をいくら磨いてもガラス玉にしかならない。ということはつまり、競馬の場合でいえば血統的な裏付けがある、ということだ。サラブレッドが3つしか父系を持たない遺伝的に行き詰まった種族である。しかもヨーロッパ、特にイギリスはエクリプスに執着し、マッチェム、ヘロドすら受け入れようとしない。血は淀んで遺伝的に能力が低下する。アメリカ産馬に勝てないというのもあまりにも当然である。だがそれだけではない。そこに秘密がある、アメリカンダミーである。
- 日本に輸入されているアメリカン・ダミーの血を有する種牡馬
- ■バックパサーが父系または母系に入っている馬マルゼンスキー(BMS)、ラシアンルーブル(BMS)、ヤマニンスキー(BMS)、メイワパッサーなど。
- ■ネイティヴダンサーが父系に入っている馬カウアイキング、ダンサーズイメージ、ダンシングキャップなど。
- 日本に輸入されているマッチェム系、ヘロド系種牡馬
- ■マッチェム系①ハリーオン系・・・ユアハイネス、スティンティノ、バダグシャーン、シャミエ、プルバン、シェスキイ、サムタイム、ヤサカ②マンノウォー系・・・シルバーシャーク、ヴェンチア、ミンシオ、アザーストーンウッド、パーフライト、ポリック、リンボー、マークオブディスティンクション
- ■ヘロド系③ トゥルビヨン系・・・パーソロン、メジロアサマ、ウインザーノット、カーネルシンボリ、サクラショウリ、タンディ、ペール、アトランティス、ファルコン、ダンディルート、シャレー、トウショウルチェー、トウショウペガサス、アップセッター、ノーリュート、ヤワ、ビゼンニシキ、タニノチカラ、ブランブルー、ターボナス、ハーケン、ハッピーオーメン、ヒッティングアウェー、アンビオポイズ、ネルシウス、ガルガドール、バウンドレス、マイスワロー、ゼロファイター、ラッキーキャスト、ワカテンザン④テトラーク系・・・アズユーライク、タパルク、ヴィーノーピュロー、セフト
アメリカではクォーターホースの競馬が盛んである。
クォーターホースというのは、新大陸発見の直後に持ち込まれたアラブの血の濃いスペイン馬が数代に渡り近親配合された後、サラブレッドと交配されて出来上がった品種である。クォーターマイル(400m)の競馬に使われることからこの名がある。
牧場で放馬したサラブレッドを捕まえる役目をもっぱらクォーターホースが担うことからもわかるように、短距離のスピードではサラブレッドをはるかに凌ぐ。サラブレッドは1ハロンの走破に10~11秒を要するのに対して、クォーターホースは8~9秒で走り抜ける。速筋の比率が大きい筋肉構成を持っていると考えられる。またサラブレッドに比べると体、特に脚が丈夫で壊れにくい。立っていて短い頑丈な繋(つなぎ)が特徴である。だがクォーターマイルを超える距離を走るスタミナがない。
アメリカのサラブレッドはこのクォーターホースの血が入っていると言われている。これは噂であってその真偽を確認することはできないが、ほぼ疑いようのない事実と私は考えている。
サラブレッドの繁殖牝馬の1回の発情に、サラブレッドとクォーターホースの種牡馬を両方種付けする。生まれてきた仔馬が少しでもサラブレッドに似ていればサラブレッドとして登録し、クォーターホースに似ていればクォーターホースとして登録した。このような仕掛けで、サラブレッドとして登録された父系の中に、外見的にはサラブレッドでもクォーターホースを父に持つ馬が混じる。非常に厳しく血統管理されている現在では想像もできないが、このようにいい加減な時代もあった。
遺伝というのは不思議なもので、体格や顔などは母親に似ても手足の形や骨の質などは父親に似る。これは人間の場合もそうだが、馬であっても事情は同じである。そして雑種は一般的に純血種よりも強い。この掛け合わせでサラブレッドの内臓、スタミナに加えてクォーターホースの丈夫な脚、そしてスピードを持った馬が生まれる。
この血脈を受け継いだ馬の何頭かは好成績を上げ、種牡馬となってクォーターホースの血をアメリカのサラブレッドの中に残したと考えられる。この血脈がいわゆる”アメリカン・ダミー(American Dummy)”である。あのフェデリコ・テシオがアメリカ産馬に見せた異常な執着の理由は、テシオがアメリカン・ダミーの存在を知っていたと考えればそれも納得がいく。この血脈は現在はアメリカの血統配合上の名脇役に成長し、米国産馬の強さの秘密となっている。
アメリカ産馬が世界の桧舞台に姿を現してしばらくして、イギリスのジョッキー・クラブはジェネラル・スタッド・ブックからアメリカの父系を持つ馬を抹殺しようとした。(1913~1948年)。1913年春の開催のジョッキー・クラブの会合で、会長理事ジャージー卿は、「本日以降いかなる牡馬、牝馬であろうと、その血統が父系、母系の両面について『ジェネラル・スタッド・ブック』の当年以前の巻に収録された牡馬、または牝馬に完全に遡ることが出来なければ、登録有資格馬とは認めない」として、血統的に曖昧なアメリカ馬の閉め出しを図った(ジャージー・アクト)。つまり「トゥルビヨンにはアメリカ馬の血が流れている」のである。イギリスのジョッキー・クラブもすでにこの段階ではアメリカン・ダミーの存在を見破っていたのである。
そのイギリスですら、ついに1992年のダービーはトゥルビヨン系のアホヌーラ(Ahonoora)の仔、ドクターデヴィアスが勝った。
アメリカン・ダミーの存在は半ば公然の秘密であり、生産界では少なからず人間がそれを口にする。ただ、かつて活字にされたことはなかったというだけのことである。
秘密の日本競馬 血とコンプレックスより 2001.5.10
払戻金の計算方法。
1994年の京都新聞杯では、スターマンが大本命のナリタブライアンに競り勝った。GⅡのトライアルにも関わらず翌日のスポーツ紙は半数以上が1面にこのレースの結果を掲載、アジア大会でのバレーボール優勝の記事よりも大きな扱いとなっていた。しかし記事の見出しはスターマンではなくナリタブライアン、レース結果そのものではなく本命馬の敗戦が大きなニュースとして取り上げられた形だった。
さて多くのファンに衝撃を与える結果となってしまったレースだが、最もショックを受けたのはナリタブライアンの単勝馬券を持っていた人に違いない。投資金額の何割かは儲かると信じて疑っていなかった筈。それが発売締め切りの段階でオッズが1.0倍のままという事実を知らされ、その数分後には全てパーになってしまったのだから泣くに泣けない。
今回ナリタブライアンの単勝に投じられた金額は3億9千万以上、おそらく相当数のファンが痛い目にあったものと推測される。一度犯した失敗は2度と繰り返したくないだろうが、大本命馬が負ける可能性を予測するのは無理な話だ。しかし当たっても1円の儲けにもならない馬券を買わないために、支持率とオッズの関係について知っておくことは無駄ではない。「馬券の控除率は?」と問われれば多くのファンは「25%」と即答するだろうが、厳密には違う。払戻金の算出は面倒な計算を必要とし、控除率は的中票の割合によって異なる。実際に計算してみると本命サイドの馬券の方が穴の場合よりも払戻金の総額は大きくなるのだが、詳しい計算方法まで理解しているファンはそれほど多くはないと思う。そこで今回は払戻金の計算方法を説明し、馬券の支持率と実際の払戻金の関係を考えてみる事にする。それでは早速、払戻金算出のための計算式から紹介することにしよう。複勝式や同着の場合など、的中馬券が複数になる場合を除けば計算はそれほど面倒ではない。
- ■払戻金の算出方法
- 第1号式
- (勝ち馬に投票された金額+負け馬に投票された金額÷勝ち馬の頭数)×(1-18%)=A
- ↑第1控除率
- 第2号式
- (A-勝ち馬に投票された金額)×10%=B
- ↑第2控除率
- A-B=払戻金として配分される総金額
- (A-B)÷的中枚数(1枚10円)=1枚(10円)当りの払戻金
まず総売上金額に0.82を掛け、その値をAとする。そして今度はAの値から的中した分の金額を引き、それに0.1を掛けた値をBとする。最後にAからBを引き、その値を的中票数で割った値が1票当たりの払戻金になる。AからBを引いた値が払戻金の総額ということになるが、的中票数が多ければBの値は小さくなり、その分だけ払戻金の総額が多くなるという訳だ。
例えば総売上金額が100万円で、的中馬券は1万円だけだったと仮定しよう。まず100万円×0.82で82万円がAの値となる。そして(82万円-1 万円)×0.1、つまり8万1千円がBの値となる。払戻金の総額は82万円-8万1千円で73万9千円、これを的中票の100で票で割ると、1票(100 円)当たりの払戻金は7,390円となる。次に同じ売上金額で、的中票が50万円あった場合を計算してみよう。Aはやはり82万円で変わらないが、Bの値は(82万円-50万円)×0.1で3万2千円となる。従ってA-Bは78万8千円となり、払戻金の総額は穴の場合と比べて4万9千円も多いことになる。売上金額100万円対しての4万9千円は決して小さい数字ではなく、これだけなら穴になった方が主催者の収入が多くなるように思えるだろう。
しかし実際には必ずしもそうではない。この場合に1票当たりの払戻金は78万8千円を5千票で割った157.6円となるが、1票当たり7.6円の端数は切り捨てられて主催者の懐に入るからだ。端数の総額は100万円について3万8千円になり、これもやはり小さな金額ではない。10円未満の端数がいくらになるかは本命も穴も関係ないが、的中率が多ければ端数の総額は多くなる。穴になれば控除率を上げ、本命の場合は端数で稼ぐというこの計算方法、口惜しい話だが非常に良く出来たシステムだと感心せざるを得ない。
それでは今回のナリタブライアンの払戻金は計算上いくらになっていただろうか。前述の計算式に当てはめると、実は104.76円(少数点3位未満切り捨て)にしかならない。支持率は77.8%にもなっていたが、110円の払戻金を得るには支持率が73.8%以下に下がらなければならない。つまり他の馬の単勝がさらに2千8百万ほど売れていなければ元返しだったということになる。これはナリタブライアンの単勝を1万円買った人が、それぞれ他の馬の単勝を 700円相当買わなければ埋まらない数字。それでようやく1万円について配当が千円というのだから何ともバカバカしい話である。
アメリカでは2ドルの馬券に対し、的中すれば必ず10セントの配当金を付けて払い戻す。つまり日本流ならば105円の払戻金ということになる。アメリカでは5頭立てのレースでも3着払いの複勝馬券を売るので、場合によっては主催者側の持ち出しになる場合も十分に考えられる。日本でそこまでのサービスを期待するのは無理だろうが、10円未満の端数をバッサリ切ってしまうのは何とかならないものだろうか。日本の馬券は本来1枚10円(馬券の裏に印刷してある)であり、その10円に対して1円未満の端数を切り捨てている(競馬法第10条に規定)ので実際の払戻金は10円単位となっている。しかし馬券は100 円単位でしか売らないのだから、法を改正して1円単位まで払い戻しても良さそうなものだ。あるいはナリタブライアンの単勝を千円買った人には1,040 円、1万円買った人に10,470円(勿論的中した場合)というように、実際の購買額に応じて10円単位まで払戻してもらえないものだろうか。仮にナリタブライアンが勝っていたとして、単勝馬券を100万円買っていた人が本来受け取るべき配当金の額は104万7,620円、切り捨てられる端数は決して小さな額ではないからだ。
また単勝式と複勝式の払戻し金には、5%の給付金が課金されている。しかしこれによって「控除率は25%-5%=20%」と理解している人がいるとすれば、やはりこれも正しくない。払戻金と給付金は別々に算出して加算するが、どちらも10円未満の端数は切捨てになっているからだ。給付金は100円に対して5円、10円未満の端数は切り捨てだから単勝の場合には支持率が50%以下にならないと10円の給付金を受けとれない。オッズは給付金を含んだものが発表されるが、給付金を含まない払戻金が150円から157.75円までは給付金が加算されずに1.5倍のまま、157.6円から159.9円までは10円の給付金をプラスして1.6倍、160円になれば同様に10円プラスで1.7倍というオッズになる。オッズが1.5~1.7倍あたりの単勝を買う人は大きな金額で勝負する人が多いだけに、払戻金の10円の違いは大きい。1.6倍というオッズは非常に幅が狭く、すぐに数字が上下する可能性が高いことは覚えておくべきだろう。
かつぶー≫1倍台のオッズの馬券など買わない私なんかは関係ないっちゃ関係ない話ですけど、こういった馬券で勝負する人は払戻しの計算方法は知っておくべきなんじゃないですかね。しかしこれ読むと本当堅い馬券を買うのがバカらしくなってきてしまうし、大金を賭けようと思う気持ちもなくなってきますねぇ・・・
競馬場は宝石箱より 2001.5.3
道悪の上手下手は何故出来るのか。
そこそこに水溜まりが出来ているひどい馬場を一向に気にせず、スイスイ水すましのように走ってきて、外の方を回っている馬群を尻目に悠々と入線する、典型的な道悪上手な馬が時々現れる。生まれながらの道悪上手の馬、マッドランナーなるものがいないわけではないが数が少ない。
ある調教師は道悪の上手下手は調教の過程のなかで馬に道選びさせるからできる、悪い馬場でもいい時と同じように調教を続ければ、どちらも同じように走るようになるといっている。道悪の上手な馬は育成と調教の過程のなかで作られてくるものらしい。実際朝までひどい土砂降りで、ぼうぼうに大きな水溜りが出来ていたある重賞レースを勝った馬が、追い運動場のなかほどにいつも水の溜まった湿地のある牧場で育った馬だったという例もあるから、道悪の上手な馬は後天的にできてくるという主張にも一理あるようだ。いずれが正しいかは別にして、馬がひどくきらう馬場に2つある。ひとつは水溜りのある馬場、もうひとつはすべる馬場である。
馬の目は構造的に焦点の調整がすみやかにいかない。道端に落ちていた空缶が光ったのをみて横っとびする。風で飛んだ紙切れを怖そうに見送って立ち止まる。遠くに白く光る水溜りをみつけて騎手の手綱にさからってでも遠回りする。内枠沿いの蹄跡に水があれば、たとえ地面が堅くてもよけて通るのが馬の本性である。
馬はすべる馬場をきらう。蹄の内部組織の表面に網の目のようになって神経が分布している。蹄はすこぶる鋭敏な感覚をもっていて、堅固な地面、柔軟な地盤、表面の凹凸などをこれで弁別する。とりわけ地面がすべるとひどく怖がる。道路を歩いていて、うっかり踏んだマンホールの鉄の蓋に脚をとられて狂奔したり、輸送車の掛け板の金具にのってすべったのを大袈裟に飛び上がって転倒したりする。道悪の馬場がすべるのをきらうというより、むしろそれをひどく恐れて足がでなくなるのである。
このようなわけで水溜りや軟弱な地面をいやがるのは、馬がもって生まれた本性に基づくものであるが、育成や調教をしている間に水溜りを歩かせたり、柔らかい草地で運動をつけたりして怖くないことを教え込むようにすれば、馬は次第に慣れてきて苦にしなくなってくる。道のいいところだけを選んで馬を走らせたり、雨降りの運動を休んだりするように馬を誘っていけば、やがて道悪を苦にしない走り方の上手な馬になる。育成の時代から馬場の善し悪しを気にしないように育てていくのが道悪上手の馬をつくるコツで、ならすことが第一である。
かつぶー≫道悪で思い出すのは私は弥生賞をちぎったレインボーアンバーでしょうか。あの時はサクラホクトオーが断然人気だったのですが、まったく上がっていけずに惨敗、ワンダーナルビーが逸走してしまったりと非常にインパクトのあるレースでしたね。そこをこの馬は内をスイスイ行ってましたっけ。今世界に頻繁に日本の馬が参戦していくようになりました。道悪がダメだから、という馬では世界では通用はしないんでしょうね。ダートでも重馬場でも崩れない馬が世界では通用できるのでしょう。タイキシャトルやエルコンドルパサーのように。
競馬の科学より 2001.4.25
ムチ職人のこだわり。
4コーナーを回って最後の直線、勝負所で各馬にムチが入る。ムチは騎手にとって身体の一部、重賞レースえお勝った騎手がファンにせがまれてムチをプレゼントすることもあるようだが、本当に手に合ったムチは絶対に手放さないとも聞く。そのムチを製作する職人さんを訪ね、ムチに関する色々な話を聞かせてもらう事にした。
東京競馬場から歩いて10分ほどの場所に仕事場をもつ鈴木高志さん、昭和17年というからウマ年の生まれである。ムチを作り始めて32年、作業台に使っているのが東京競馬場のスタンドを改築した時に切った大ケヤキの木の幹というから、その年輪が鈴木さんの職人としてのキャリアを物語っている。地方競馬も含めて日本中の騎手の8割以上が鈴木さんのお得意さんだ。
鈴木さんの名前は日本だけでなく、海外にもよく知れ渡っている。ジャパンカップやワールドスーパージョッキーシリーズで来日する騎手の中にも、鈴木さんにムチの製作を依頼する騎手は多い。1990年のジャパンカップに優勝したオーストラリアのベタールースンアップ、手綱を取ったクラーク騎手も鈴木さんの作ったムチを使った。来日直後、厩務員が見本を見せて「これと同じ物を3本作って欲しい」と依頼したそうである。ところが遅れて来日したクラーク騎手に鈴木さんがムチを届けると「ノー」と言う。鈴木さんは「見本と同じ物を作った」と主張したが、「この見本は私のお気に入りのムチとは違う。もっと鉄のように硬いムチが欲しい」と言われてしまった。仕方なく鈴木さんは日本では誰も使わないような、振っても全くしなりがない硬いムチを新たに作り、クラーク騎手に届けた。「本当にこんな硬いムチを使うのだろうか」と半信半疑だった鈴木さん、水車のように激しくムチを回して追う騎乗フォームを見てようやく納得した。やわらかいムチでは速い回転に付いていけないからである。レースに勝って大喜びのクラーク騎手、「来年オープンする競馬博物館に展示したい」というJRA の求めに応じて記念のムチを置いて帰った。ところが真相はちょっと違っていたようである。競馬博物館に残されているムチは、鈴木さんが最初に作った3本のうちの1本だった。クラーク騎手から再度の注文が来ないところを見ると、記念のムチは現在もオーストラリアで活躍中のようだ。
さて、ムチはどのようにして作られるのだろうか。まずシャフトの部分、以前はセミクジラの髭を使っていたそうだが、現在ではグラスファイバーを使っている。そしてグラスファイバーの上に、寒冷紗(かんれいしゃ)という布を巻いていく。寒冷紗というのは蚊帳などに使われる目の粗い綿布である。これをゴム系の接着剤を使ってグラスファイバーに巻くことにより、当たりを柔らかくしている。次にムチの先の部分は牛革か合成皮革を使う。牛革の方が長持ちするが、合成皮革は雨に強くて軽いという利点がある。まず革を好みの形に切り、2つ折りにして裏を張り合わせる。そして目打ちで穴を開け、麻糸で縫ってシャフトに巻く。昔は革の中に5円玉を入れて硬くする騎手もいたそうだが、現在では逆に馬への負担が軽くなるように革の部分を大きくする人が多いようだ。最後にグリップの部分は藤(ラタン)を4つ割りにし、その内側を削ってシャフトに張り合わす。そしてやはり寒冷紗を使って太みえをつけ、さらにゴムを巻いて仕上げれば完成である。重さのバランスの関係で、底に1ミリ程度のなまりを入れることもあるようだ。工程自体はそれほど複雑なものではないが、鈴木さんのムチはすべて注文製作である。ムチの規定は「長さが77センチ以内のもの」というだけで、あとは全く自由。従って騎手によって好みは様々である。長さや太さならば数字で表現できるが、重さのバランスうあしなり具合などの微妙な感覚になるとそうはいかない。グラスファイバーのシャフトは温度によって硬さが変わるし、グリップの部分にしても手袋をする騎手ならばゴムの厚さで調節して細めのグリップにしたほうが好まれる。そのあたりの感覚はやはり長い経験でなければわからない。手作業でなくては出来ない仕事だ。
クラーク騎手は「鉄のように硬いムチを」と注文したが、他の騎手はどうだろうか。例えば引退した増沢騎手は66センチの短いムチを使っていた。増沢騎手の得意なレースは肩ムチを入れての先行、手綱を握ったままでムチを入れるので短い方が使いやすかったようだ。色はシャフトが赤で先の革とグリップは白、グリップに巻くゴムは細いものを3つ編みにしていたそうだ。そして先の革の部分は細くて、羽根をつけたものを使っていた。羽根を付けたムチは岡部騎手なども好んで使っているが、これは単なる飾りではない。先の方が重くなるというバランスの関係、そして見せムチの時に風を切る音が出るという事、それから羽根を付けて馬に当たる面積を大きくする事によって、馬への負担を軽くするという効果がある。アメリカでは動物愛護の観点から、ムチに羽根を付けることが義務付けられているそうだ。
増沢騎手は短いムチを使っていたが、長いムチを好む騎手も多い。岡部騎手や田中勝春騎手、武豊騎手は規定一杯の77センチのムチを使っている。硬さという点では田原元騎手。田原騎手は風でなびくほどの柔らかいムチが好きだ。逆に硬いムチを使っているのが郷原洋行元騎手、一般的な傾向としてムチをよく使う騎手ほど硬いものを好むようだ。硬いムチでないと戻りがよくないので連打できないからである。そして同じ騎手でもレースによってムチを使い分けている。天候によっても違うし、例えば新馬はムチで馬の気分を損ねることのないように当たりの柔らかいものを使ったりしている。ロッカーには常に5本程度のムチを用意しているそうだ。
かつぶー≫これで競馬を見る楽しみがちょっと増えたんじゃないですかね?あの騎手はどのようなムチを使っているのだろう、とか。ちょっとレースでは見づらいですけどね、しなり具合とか見るのも面白いんじゃないでしょうかね。私もゴルフクラブは悩みますよね・・・どうも今使ってるドライバーはシャフトが柔らかいような気がするんですよね。ひょっとして私のスイングスピードについてきてないんではないか、と思ってりしてます(笑)
競馬場は宝石箱より 2001.4.20
馬の各部の名称。
■馬の骨の名称

A:環椎(第1頸椎) B:軸椎(第2頸椎) C:胸椎 D:腰椎 E:仙結節 F:仙椎 G:尾椎 H:坐骨結合 I:大転子 J:大腿骨 K:膝蓋骨 L:橈骨(とうこつ) M:脛骨 N:踵骨隆起(しょうこつりゅうき) O:足根骨 P:中足骨 Q:第1趾骨 R:第2趾骨 S:第3趾骨 T:寛骨 U:寛結節 V:助骨 W:肩甲骨 X:種子骨 Y:第3指骨 Z:第2指骨 a:第1指骨 b:中手骨 c:手根骨 d:橈骨 e:尺骨 f:胸骨 g:上腕骨 h:頸椎
■馬体の各部の名称

A:耳 B:たてがみ C:きこう D:腰 E:腰角(こしかど) F:臀端(でんたん) G:臀 H:尾 I:飛節(ひせつ) J:後管 K:後球節 L:橈骨(とうこつ) M:脛骨 N:後膝(あとひざ) O:ひばら P:肘端 Q:肘(ひじ) R:前蹄 S:前つなぎ T:前球節 U:前管(ぜんかん) V:前膝(まえひざ) W:前膊(ぜんはく) X:上膊(じょうはく) Y:胸前(むなまえ) Z:肩端(けんたん) a:頸溝 b:頬 c:あご d:唇 e:鼻孔 f:鼻端 g:鼻梁 h:額 i:まえがみ
ちょっと今回はネタがいいのが浮かばなかったので、馬の格部の呼び名を載せてみました。ちょっと競馬には関係ないといえば関係ないですけどね、パドックでの解説や骨折したところはどこなのかとかはこれ見ればわかると思います。
競馬 馬の見方がわかる本より 2001.4.11
なぜ馬はレースで走るのか。
この疑問は奇妙に聞こえるかもしれないが、そんな事はない。馬にとっては長い距離をトップスピードで駆けることは不自然な事だからである。それなのになぜ馬は走るのか。グレイハウンドを使うドッグレースならば、その理由はわかる。ウサギを追いかけて走っているのだ。ではサラブレッドをあんなにも速く、しかもあんなにも長い距離を走らせるのは何なのだろうか。
野生状態では馬の群れがトップスピードで走るほとんど唯一の機会は、捕食者から逃げようとして恐慌状態になったときだけである。しかし標準的な障害競走の距離である3マイル(4,800m)も馬を追跡できるような捕食者などいるはずがない。全力疾走は短い距離だけしか行われず、あっという間の死か瞬く間の逃走で終わるはずなのである。また食物や水を捜したり、新しい場所に移動する為に群れが長い距離を動く場合にはゆっくりとしたペースで移動する。
現在の競走馬のそうした行動を理解する為には、彼らの奇妙なライフスタイルをもっとよく検討してみる必要がある。競馬場でだけ競走馬を目にしている人達には、競走馬がどんなに変則的でスパルタ式の生活を送っているかということに考えが及ばないことが往々にしてある。競走馬はレースに出ていない時は、個室になっている厩舎に閉じ込められたままでほとんどの時間を過ごしている。厩舎の中で競走馬達は欲求不満に陥り、エネルギーを持て余した状態でいる。日課の調教で走るだけでは不満はほとんど解消されず、むしろ自由に走り回りたいという欲求をそそるだけである。
何も知らない新参の馬主が、競走馬は放牧地に放されれば喜ぶのではないかという提案をしたとしても、調教師はそんなことをすれば馬にレースの事を忘れさせることになりかねないと答えるだけであろう。これらの事実を考慮するに、馬がレースをするのはどんなかたちでもいいから力いっぱい体を動かしたいと切望するくらい長く閉じ込められ、エネルギーを蓄えすぎて爆発寸前になっているからだという事になる。そのような状態でレースに臨んだ競走馬は、調教師の思惑通り全速力で飛び出し、エネルギーが切れるまで走りまくる。そしてゴールを通過する前にエネルギー切れになってしまった場合には、勝機のあるなしに応じて鞭打たれるかそれ以上あえて追わないかのいずれかになる。
サラブレッドは一つのレースで筋肉の力を爆発させてしまうため、その後何日かはレースに使えないのが普通である。この事実は競走馬の生活パターンがいかに不自然なものとなっているかをよく物語っている。何日かに一度しか全力疾走で逃げられない馬など、野生では生きていけるはずがない。もっともそんなに長い距離を逃げる必要のある野生馬もいないだろう。かつての野生馬の天敵であるリカオン、オオカミ、ネコ科の大型猛獣などは、はるかに短い距離を追いかけただけで馬に追いつくか追跡を断念するはずだからである。ようするに競走馬は日中ずっと不自然に身動きを制限されたかたちで教室に閉じ込められたあげくに校庭に出ることをやっと許された学童たちと同じふるまいをしているのである。堰を切ったように校庭に飛び出す学童達と同じように、競走馬達も馬場へと飛び出すのである。またその時に校庭で繰り広げられる遊びが無目的で無意味であるように、競走馬が馬場で繰り広げられるレースにも意味はない。競走馬は逃走している訳でも、恐慌状態での逃走を追体験している訳でもない。むしろ長い肉体的拘束の後で自分を体で表現しているだけなのである。
そうではあるが、恐怖と恐慌状態での逃走という要素が本質的に競馬にもある。そいいう要素は二つの事実によって強調される。まず第一に、恐慌状態に陥って逃走しないかぎり、野生馬が全速力で走ることはない。中程度の逃走は速歩(トロット)でなされるが、それは何やら不振なものから走り去る場合である。捕食者が物陰から飛び出し、全速力で追いかけてきた場合だけ野生馬は全速力で走る。したがって馬場を疾走する競走馬の心のどこかには、少なくとも追走してくる殺し屋の幻想くらいは浮かんでいるに違いない。もう一つ、鞭が痛いという事実がある。鞭が脇腹や尻に叩きつけられる時、競走馬は皮膚を突き裂くネコ科猛獣の爪や、肉に食い込むイヌ科猛獣の牙を思い浮かべているに違いない。間近に迫っている殺し屋の攻撃を肌で感じた競走馬はさらに懸命になって逃げようとし、脚がきく限り走り抜く。
最後にいえるのは、結局のところ見えざる敵からの逃走と肉体に科せられた不自由の根源的な発散が組み合わさったものがレースであるということである。これは一種の「真空反応」ないしは「オーバーフロー反応」であり、血気にはやる健康な若い馬がオオカミやライオンからでなく、極度に人工的な生活で矯正された拘束状態から逃走しようとしているのである。
かつぶー≫確かに納得する部分もありますが、競走馬となるべくして生まれてきた馬に野生の馬の生態が当てはまるのかどうかはわかりません。人間だって環境が違えば性格や生態は違いますからね。私は牧場の経験は全くないのでサラブレッドが子馬の時にどういった環境で育っているのかはよくっわかりません。けどライオンやオオカミのいる所に放牧しているという事はないでしょう。もともと天敵のいない環境で育ってきた馬は、野生馬のような生態、性質を持っているのだろうか?
知っているのは馬のみですねぇ・・・
競馬の動物学より 2001.4.4

