裁決委員。
裁決委員の役割は「公正競馬の確保」であり、仕事の範囲は多岐にわたる。着順が変更になる可能性がある場合の審議は重要な仕事のひとつだが、他にも仕事は多い。例えばスタート前に騎手を振り落として放馬した馬がいた場合、馬場で馬体検査を行うのは獣医委員である。しかしその馬を出走させるかどうかは、獣医委員から報告を受けた裁決委員が決定する。公正競馬に関わる決定権の多くが裁決委員に委ねられており、必然的にその権利は大きい。
スターターの仕事がレース当日だけではないように、裁決委員の仕事もレース前の下調べから始まる。レース前日には「裁決ノート」と呼ばれるものが用意されるが、そこには各馬の過去の競争成績、発送状況やレース中の逃避などが記録され、裁決委員はそのノートによって出走馬の癖や脚質などをレース前に把握する。さらに馬体検査の結果の確認や、調整ルームに入っている騎手の状況の把握も前日の仕事である。そしてレース前日は競馬場近くに宿泊して緊急時に備える。もちろんレース当日も仕事は早い。出走馬の輸送の状況の確認などの仕事は朝7時から始まる。9時頃からは開催執務委員長を交えての打ち合わせがあり、そこでは前日に審議になったレースなどが紹介される。
1レースの出走馬がパドックに姿を現す頃、裁決委員は裁決室という部屋に入る。この部屋はスタンド最上階ゴンドラのゴール少し手前にあり、裁決委員はそこからレースを見る。ゲートが開く前からその表情は真剣だ。走路が完全であるかの確認と同時に、各馬の返し馬の状況を観察する。これも「公正競馬の確保」のためだが、言い換えればそれはファンのためでもあるといえる。競馬にはもちろんスポーツとしての要素もあるが、ファンが参加するギャンブルとしての側面も大きい。例えば陸上競技の審判は競技がルールに乗っ取って行われているかどうかのチェックをするが、それは競技者相互が不公平にならないためである。従ってマラソンのスタート前にランナーの一人が転倒しても、審判は「競走能力に影響がありそうだから棄権しなさい」とは言わない。ところが競馬でレース前に放馬した場合には馬体検査が行われ、競走に支障があると判断されれば除外になる。その馬の関係者が「問題ない」と主張しても出走は認められない。それは馬券を売っているからであり、ファンのための措置である。これは審議のあり方を外国の例と比べてみるとさらによくわかる。ヨーロッパの多くの競馬場では、被害馬が「何番の馬に進路を妨害された」と申し出(オブジェクションという)をしなければ審議をしない。ファンの存在を無視すれば、当事者同士の問題に過ぎないからだ。ところが日本では第三者である裁決委員が審議のランプをつける。ファンの存在を思うと、当事者同士の問題というレベルでは片付けられないからだ。
審議については後程説明するとして、裁決委員の仕事はレース後も続く。レースが終わると検量室に行き、7着までの後検量をする。雨で勝負服が水を含んだ時などの場合を除き、前検量との差が1キロを超えると失格になる。さらに着順確定後、3着までの馬と特に指定された馬については採尿して薬物検査が行われる。この結果は翌日の夕方にしかでないが、この確認も裁決委員の仕事である。
それでは審議について説明しておこう。執務室からレースを見ている裁決委員は3人いる。そのうち2人は双眼鏡を手にしているが、1人はモニター画面を見ている。モニターは正面と横から撮っているものを上下に配置し、それぞれの画面で左右と前後の間隔をチェックする。そして進路妨害などで着順を変更する可能性がある場合に審議のランプをつける。騎手が戒告、過怠金、騎乗停止といった処分を受けることと審議ランプは別で、審議のランプは着順の変更の可能性がある場合だけだ。審議になっても制裁がない場合はあるし、審議にならなくても騎手が制裁を受けることは多い。審議のレースでは、まず被害馬の騎手が呼ばれる。その後に裁決委員の合議により、着順を変更するかどうか決定する。そして降着や失格馬が出る場合には、加害馬の騎手や調教師を呼ぶ。もちろん加害馬の言い分も聞くが、これは事実の確認という意味合いが強いようだ。以前に外国のある競馬場を取材したことがあるが、そこではオブジェクションされた加害馬の騎手を呼んで「進路妨害したか」と尋ねていた。そこで「妨害した」と言えば降着・失格となり、「していない」と言った場合には裁決委員がビデオを見るなどして決定しているようだった。つまり被害馬と加害馬の言い分が違った場合だけが、裁決委員の出番である。
これに対して日本では裁決委員が審議のランプをつけるが、そこには別のメリットがある。それは時間的な問題である。午前中のレースなら間隔は25分しかなく、審議をしている時間は限られる。審議になると確定までが非常に長く感じられるが、実際には発走してから長くても12~13分程度で確定している。審議のない場合でも8分はかかっているので、5分ほどの間で審議は終わっている計算になる。そのためにも当事者相互からの話を聞くよりも、裁決委員が第三者の目で公平に裁いたほうが早い。オブジェクションの場合だと騎手が戻ってきてから申し出があり、それから加害馬の騎手を呼ぶことになるのでどうしても時間が必要になる。しかし日本でも、実は騎手や調教師がオブジェクションすることができる。確定までの間に3万円を添えて「何番の馬に進路を妨害された」と申し出をすれば、そこから審議が始まる。実際にこれまで9件(今はもっとあるかもしれないが)の事例があるが、それによって着順が変更になったケースはない。審議の結果に100%のファンが納得することは難しい。馬券が絡めばどちらかの馬に思い入れが強くなるのは仕方がない。しかし「あっ」というシーンがあったにも関わらず、審議すら行われなければどうだろうか。すっきりしない気分が残るし、それでは安心して馬券も買えない。オブジェクション以外には審議にならない場合に比べると、裁決委員が審議のランプをつける方が多くのファンの支持を得られるだろう。
かつぶー≫でもいくら公平に審議してるといっても、その不利を受けた馬の馬券が返ってくるわけではないからファンのため、といわれても本当にそうなのか?と思ってしまいます。まぁその逆で加害馬が降着・失格になって馬券が当たるというケースもありますが、相当な不利(目に見えてわかるくらい)でないと降着にはならないという感じです。そんなことで「意味のない審議ばっかでウンザリする」という声もあるようです。まぁ確かに審議になってもほとんど降着にはなりませんからねぇ、言いたい気持ちになるのはわかりますけど(実は私もそのたぐいです)、オブジェクションだけのよりはましだろう、ということで辛抱したいと思いますね。
競馬場は宝石箱より 2001.10.17
連複よりも単複が得だとしっていますか?
中央競馬の馬券を買う場合、単勝と複勝を買うのが賢い方法だ。馬連、枠連ともに控除率が25%。これは例えばすべてのレースを任意に1点1000円で長期間買いつづけると、資金は限りなく75%に近づいていく。
ところが単勝と複勝の場合、特別給付金がつくために控除率は実質的には約20%になっている。特別給付金は馬連が開始された91年から実施された。万馬券を連発させる派手な馬連に比べてマスコミの扱いは小さかったが、その持つ意味は大きい。
公営ギャンブルの控除率は一律25%だが、中央競馬の単複に限って20%となっているわけだ。損を少なくしたい人は、単複ばかり買いつづけるのが賢明だ。ノミ屋が通常単複を受け付けないのは、このように控除率が低く、リスクが大きいことも理由のひとつだ。JRAでは連勝馬券に関しても特別給付金制度を実施させたい意向で、そうなればノミ屋が壊滅的な打撃を受けるのは間違いない。
また単勝馬券には連勝馬券にはないサービスもある。それは馬券に馬名が入っていることだ。大レースだとレース名まで記入してあるため、いい記念品になる。仮に的中しても大丈夫。1枚10円で競馬場内でコピーサービスをしている。このコピーは厚紙で出来ており、なかなか洒落た記念品になる。中には保存しておくため、わざわざハズレ馬券をコピーする人もいるほどだ。
イギリスでは馬券は薄く細長い紙で出来ており実用本位。あまりおみやげにはなりそうにない。これに対して粋なのがアメリカだ。たとえばシューメーカー騎手の最後の騎乗レースとなった時など、同騎手の単勝馬券は「シューメーカー最後の騎乗」とプリントしてあった。さすがにショーアップのお国柄を思わせる。 93年、中山牝馬ステークスのダンスダンスダンスの単勝馬券に「郷原洋行騎手、最後のレース」などと印刷してあったら、ファンでなくても1票投じたくなってしまうだろう。
ただしJRAではこの先、そうした騎手の名前を入れるプランもあるという。例えば「第35回有馬記念 オグリキャップ 57 武豊」といった馬券が可能になれば、それこそレース終了後にはプレミアがつくかもしれない。
かつぶー≫まぁ単複の方が長い目で見れば得であるということなんですが、それは特別給付金で5%控除されるからなんです(特別給付金についてはこちらを参照)。しかし得だと言ったって当たらない事には意味は無いものなので、ただ単に得であるとは言い難いところです。確率的には単複の方が当たりやすいの確かですね、特に複勝なんかは3着に入ればいいので18頭立てでも確率は16分の1になる。当たりやすくて得という、なんとも嬉しい馬券のはずなのだがあまり人気が無いのはやはり配当が低いという事ですねぇ。また配当も固定されてしまうところにもあるんじゃないですかね。単勝1点1000円で3倍と馬連5点 200円の15倍と一緒な訳ですけど、単勝は3000円かはずれ、馬連は1500円、それ以下または何万円の可能性とはずれと幅がある。しかし当たりやすいが配当安い=当たりにくいが配当高い、というものでもないんですよねぇ・・・うまく両方活用していけばいいのではないかと思いますね。でも結局は当たらない事にはどうにもならないのです(笑)
確かに馬名とか騎手とかそういう付加価値をつけるのはいいですね。この前の安田富男最後の騎乗のレースなんか入ってれば多分買っちゃいますよ。ただ「大塚騎手600勝」とかいう馬券はできませんね、勝つとはわからないのだから・・・
大人のための「読む」競馬より 2001.10.12
元祖ダビスタ。
当時私はパソコン少年であった。パソコン少年・・・字に書くと恥ずかしいが事実だから仕方がない。当時の中学生は、入学と同時にパソコンを買って貰うのが慣わしだった。だいたいPC8001mk2とか、FM-7だった。とにかくずいぶん前のことになる。なにしろ「東芝パソピア」のCMに横山やすし・木村一八親子が出ていた時代だ。木村一八はまだ当時14歳。タクシーの運ちゃんを半殺しにして少年院送りになるなどとは誰も予想にしないような可愛らしい少年だった。とにかく私はパソコンを持っていた。今のパソコンとは全く比較にならない低性能のしろもので、まさに「ガキの遊び道具」ではあった。
「ダビスタ」が登場する10年近く前に、そのゲームは登場した。いまではこのゲームの存在を知る人も少ないだろう。その名を「THE DERBY」という。そのまんまのネーミングである。「THE DERBY」はアスキーの雑誌「LOG IN」1984年12月号に掲載されたソフトだ。ソフトが「掲載された」とはこれいかに?とお思いになる方がいらっしゃるかもしれないが、当時はソフトの規模が小さいため、プログラムリストすべてが雑誌に掲載されるのが普通だったのだ。ユーザーはそのリストを見て必至に入力するか、雑誌の提供するテープサービス(フロッピーディスクなどという文明の利器はまだ一般には普及していなかった)を買ってくるわけだ。
「THE DERBY」には、下の表のように実在した当時の現役競走馬100頭が登場する。100頭は能力ごとに10の区分と脚質ごとに5つの区分、計50の区分に分けられており、レースはすべてハンデ戦で行われる。レースは全部で11、1Rから順に金杯(東)、スプリンターズS、皐月賞、安田記念、ダービー、京王杯AH、毎日王冠、天皇賞(秋だけど3200m)、菊花賞、JC、有馬記念。実際の各レースと同じ条件で行われる。といってもコースと距離だけの話で、年齢制限や外国馬の参戦はない。
出走メンバーはコンピュータがランダムに決定し、5頭から16頭立てで行われる。最終レースにあたる有馬記念だけは、金杯からJCまでの10Rの上位馬で組まれる。調教内容、馬場状態も加味され、3人の予想者の印も表示される。プレイヤーは単勝・複勝・枠連のいずれかで馬券を買いつづけ(当然馬連などない)、資金を増やしていくわけである。オッズ表示もなかなかにリアルだ。枠入りもいっちょまえに奇数番号からだったりする。PC8001 用とあってグラフィックはメチャメチャに粗いが(160×80ドット。今のパソコンは最低でも640×400ドット)、レース展開はスムーズかつスピーディで、直線ではハロン棒も通りすぎていく。「ダビスタ」に見られるレースシーン充実の原型がここにあった。よく出来たゲームだ。今となっては当時のパソコンも手元になく、このゲームを遊べないのがちょっと淋しい。
■「THE DERBY」に登録された当時の現役馬100頭
| 斤量 | 逃げ | 先行 | 自在 | 差し | 追い込み | |
| 強 い 馬 ↑ | | | | | ↓ 弱 い 馬 |
58~60 | ニホンピロウイナー キョウエイレア |
リードホーユー カツラギエース |
ミスターシービー シンボリルドルフ |
サンオーイ テュデナムキング |
ホリスキー モンテファスト |
| 57~60 |
タカラテンリュウ ゲイルスポート |
ハヤテミグ シンブラウン |
ミナガワマンナ ダイナカール |
トウカイローマン ロンググレイス |
ハッピープログレス メジロモンスニー |
|
| 56~59 |
ウインザーノット ロングハヤブサ |
シャダイソフィア エリモローラ |
ビゼンニシキ ダイアナソロン |
ミサキネバアー ローラーキング |
カミノスミレ メイジタイガー |
|
| 55~58 |
キヨヒダカ アスコットエイト |
カズシゲ ヨシノエデン |
サルノキング スズパレード |
ダイナシュガー スズカコバン |
ハツノアモイ タイアオバ |
|
| 54~57 |
ドミナスローズ マリキータ |
ハシローディー サニーシプレー |
ミスラディカル ダイセキテイ |
ハーディービジョン グローバルダイナ |
ドロッポロード オンワードカルメン |
|
| 53~56 |
エリモタイヨー ニポースワロー |
メジロハイネ ダイナマイン |
ビンゴカンタ ギャロップダイナ |
ダイゼンキング ペキンリュウエン |
ロバリアアモン トウショウゴッド |
|
| 52~55 |
アイノレディー サーペンスール |
フジノフウウン サクラトウコウ |
スズマッハ ワカテンザン |
アサカシルバー ロングレザー |
オペックホース ハッピーオールトン |
|
| 51~54 |
ダンシングファイタ アイノフェザー |
セイコーリマン ドウカンヤシマ |
メジロカーラ アップセッター |
シャダイチェイサー ジョーキジルクム |
ダスゲニー アローボヘミアン |
|
| 50~53 |
オンワードベスビオ レイビクトリア |
スイートカーソン タケノヒエン |
ヤマノシラギク アラナスゼット |
スピーディタイガー サクラシンボリ |
サルノヒーロー ダドリアバンブー |
|
| 49~52 |
スイートソフィア ルーミナスレイサー |
スーパースワロー アバンティー |
ウメノフーリン インターリニアル |
アジシバオー キョウエイアセント |
ジムベルグ ゴールドウェイ |
かつぶー>この筆者は私の1つ下ですので、ほとんど世代が同じです。なのでまさしくその通りだったなぁ、という感じなんですが私の場合はもうひとつ昔の時代でしたか。私が未だに持っている、ここにも紹介されている「東芝パソピア」は横山やすしが宣伝しているより1つ前のものです。横山やすし親子が宣伝していたのは詳しく言うと「パソピア7」です。NECのPCも8801mk2はまだ新しく、PC6001、8001がちょうど私のパソコンをやり始めた頃のものでした。私も雑誌からプログラムを打ち込んでました。そうですねぇ、マイコンベーシックマガジンとか、I/Oでしたかねぇ・・・ただ私のパソピアはシェアが少なかったため、あまりプログラムなかったのが難点で廃れるのが早かった。
私はこの「THE DERBY」はやったことがないんですよね。PC8001用だから出来ないというのもあったかと思いますけど。でもパソピアは8001とは近かったので移植は出来たんだと思いますが、そのような学はなかったですねぇ・・・今のパソピアが動くのであればプログラムがあれば入れてみたいですけどねぇ、プログラムが載ってるころなんてあるのかしら。
そういえば昔そのパソピア専用の雑誌でハガキに絵を書いて送ったら掲載されたことあるんですよねぇ。たしかルパン三世の絵を描いたと思います。ええ昔は絵が上手いといわれ、漫画家にでもなろうかと思ってましたんで(笑)。まだパソピアは捨てませんよ~、そのうちプレミアつくとおもってますんでねぇ(笑)。動かないと意味ないですが、多分動くと思うんですけどねぇ・・・
競馬名馬読本2より 2001.10.3
なぜ障害競走をスティープルチェイスというのか。
スティープルチェイス(steeplechace)ということばは、キツネのずる賢さと人間の不正直からきている。この言葉を巡る物語にキツネが登場したの18世紀半ばのとある午後、キツネ狩りの一行が落胆して家に戻ってきたときのことである。その日の追跡(チェイス)は不首尾に終わり、一匹のキツネも捕まらなかった。そのせいで意気消沈したムードを盛り上げるためにちょっとした提案がなされた。遠くにある教会の尖塔(スティープル)に誰が一番最初に到達できるか賭けないかというのである。最初に教会の尖塔に鞭で触れた者が勝ちというのだ。その村の教会の尖塔は遠くからでもよく見えた。途中にいかなる障害物があろうとも、その尖塔目指して真っ直ぐに突き進むことがそのレースの目的だった。かくして障害物競走誕生し、それ以来今日までそのレースは18世紀に名づけられたスティープルチェイスという名で呼ばれているのである。
そんなことが行われるずっと以前から平地競走とキツネ狩りは行われていた。しかし何らかの理由で2つを一緒にしたレースを行う事は誰も思いつかなかった。ところが2つが一緒にされるや、その新しいスポーツはたちまちのうちに人気を得た。
記録に残っている最初の障害競走は1752年にアイルランドで行われたものである。ミスター・オーカラハンとミスター・ブレイクの二人が、バテヴァント教会から聖レジャー教会までの4マイル半(7.2キロ)の距離で競ったのである。そのときの賞品は、「ボルドー産の赤ブドウ酒1樽、ポートワイン1樽、ジャマイカ産のラム酒4分の1樽」だったと記録にある。ただし二人のうちのどちらが勝ったかは記録にない。想像するに、賞品を味わった後では誰一人としてレース後の記録もきちんと残すほどの正気を保っていた者はいなかったのだろう。
ステープルチェイスということばの語源をめぐる物語に不正直な人間が登場するのは、そのちょっと後の1810年のことである。18世紀後半のあいだ、障害競走は非公式なかたちではあるが教会から教会(言伝えにならうなら尖塔から尖塔)という2地点間で盛んに実施されていた。それが19世紀の初めにはより本式に組織されたスポーツとしての地位を得た。そのように組織化されるにあたっては、平地競走の騎手のあいだで行われていた不正と関係していたはずである。当時はレースのために育てられたわけではない純粋な狩猟馬わ使った平地競走も行われていた。そのため、そのようなレースで脚の速いサラブレッドを狩猟馬だと偽って騎乗する騎手もいた。障害物を飛び越えながら獲物を追いかけて原野を走り回るために育てられた体重の重い狩猟馬が、平地競走でサラブレッドにかなうはずがない。そういうインチキを潰すために、それまでは自然の原野で行われていた荒っぽい障害競走を公式の競馬場でやらせることにしてはどうかという提案がなされ、本当の障害競走が初めて行われる事になったのである。
最初の障害競走は、ベッドフォード競馬場の3マイル(4.8キロ)のコースに8つの障害を設置して行われた。その障害は原野を駆け回ったことのない平地競走用の馬では絶対に勝てないほど難しいものにされた。具体的には4.5フィート(1.4メートル)の高さに頑丈な横棒を渡したものである。誇り高い騎手達が落馬するのを必ず目のあたりに出来る、この新しいタイプのレースを見ようと4万人もの観衆がつめかけ、競馬場は満員となった。それ以来大障害競走に思わずぞっとさせる魅力を添加してきたのは、落馬にともなう騎手の危険だった。馬が背負い込む危険も気づかわれ、障害競走を行うにことに対する批判の理由にあげられている。ことにグランドナショナルに対する風当たりは強い。この大障害競走は、1839年にエイントリー競馬場で初めて行われて以来、熱狂的な大観衆を集めて毎年開かれているのだが、それと同時に動物虐待を告発される対象ともなっている。4.5マイルにわたって繰り広げられるこの過酷なレースに愛馬を出走させるのを拒否する馬主もいた。ある優勝馬の女性馬主は、自分の馬が1着の名誉に輝くのを見るのも怖かったと告白している。レース直後にその馬主は、この馬はグランドナショナルには2度と出走させないという発表を行っている。
発祥の地をかかえるイギリスでは伝統的な理由により障害競走はいまだに高い人気を誇っている。平地競走がアメリカでは一貫して圧倒的な人気を保っているのは、どんなに強い馬でもあっけなく落馬することがある障害競走は馬券の面で危険率が高すぎてギャンブラーが敬遠するからだといわれている。しかし奇妙な事に、そのような危惧は統計的には根拠のないものである。人気馬が勝っている割合は平地競走よりも障害競走の方が高いのである。しかし偏見は消えておらず、障害競走はより歴史の古い平地競走ほどには世界的には普及していない。
かつぶー>ここでも出ているけど動物虐待とかいうのなんとかならんですかね。障害競走が動物虐待ではなくて、競馬そのものが動物虐待でしょ。ということは競走馬の生産そのものが虐待ですよ。どこまでが虐待でどこまでが虐待でないかという線引きは非常に難しいですよ。そんなこと簡単に言っちゃいけないと思うけどね。またここに出てる馬主も馬買ってレース出しといてそれはないと思うけどね。グランドナショナルは面白いですよ、あれ止めちまったらイギリスの競馬なんか興味なくなってしまいますね。日本もあのくらいすげぇ障害競走あったら盛り上がるんだろうけどね、多分乗れる騎手いないんじゃないですか。一番は頭数が揃わないということ。あと今年のようにポンと平地から障害に来た馬に大障害何回も勝ってる馬がコロっと負けちゃうというのはねぇ・・・これでは障害の意味ないなぁ、という感じになってしまいます。なんでグランドナショナルのようなレースが面白いんですよ。
※競馬の動物学より 2001.9.26
馬運車。
馬運車の外観は大型バスに良く似ている。運転席以外の座席を取り払って後部に大きな出入り口を付ければそのまま馬運車になりそうだ。ところが車両メーカーに話を聞いてみると、それほど簡単でもないようだ。バスは乗り心地の点で優れているが、ひとつだけ大きな難点がある。それはエンジンが後ろに付いている点だ。これでは馬の積み下ろしがスムーズに行えない。それではトラックならどうだろうか。トラックの場合はエンジンが前部にあるが、重い荷物を積むための車だからクッションが堅い。だからどちらも馬運車への改造は向いてないようだ。馬運車のような形の車は「バス型オープントップバン」と呼ばれるが、同じ外観の車は他にも沢山存在する。例えば集団検診車や衛星通信中継車、気象測定車などはすべて馬運車と同じ形である。これらの車は全て同じ車であり、内装だけが用途に合わせて様々になっているというわけだ。これらの車の大きな特徴は床下にエンジンを配置し、さらに横揺れを防ぐためトラックに比べて低床になっているという点である。従ってスペースが広く確保でき、乗り心地も悪くない。大手の運送会社では美術品や精密機械を運搬する専用車として、馬運車と同じ車を持っている。高価で衝撃に弱いものを運ぶという点で、その用途は馬運車と全く同じだ。
馬運車の全長は約12mで、馬が乗る部分の長さは9m弱である。車幅は約2.5mで、そのスペースに馬を4頭積む。同じスペースに6頭積む仕様の車もあるが、トレセンと競馬場の往復に使用する車は前後に2頭すつの4頭積みと決まっている。それでは馬を積むときの注意点は何だろうか。正解は良く考えれば簡単な事で、牡馬を前にして牝馬を後ろに積む。牡1頭で牝3頭の場合は前列に牡と牝が並ぶ。この場合は真中をカーテンで仕切る。2頭の間にはかなりの空間があるが、それでも隣に年頃の異性がいるというのは精神衛生上よくないようだ。
そして馬を積む場所にもエアコンが入っている。馬は暑さに弱いだけに、密室でエアコンがなければ夏場の輸送は馬の負担が大きいからだ。今でこそどんな車にもエアコンが付いているが、一昔前は乗用車でもエアコンはなかった。実は馬運車はその頃からエアコン完備の最新設備を誇っていた。車の設備といえば、自動車電話も同様である。馬運車には無線機か電話が必ず付いているが、これも昔から装備されていた。しかし昔の自動車電話は距離が200キロを超えると全く通話ができなかったそうだ。
さて申し分のない乗り心地と設備を誇る馬運車だが、馬にとって輸送への負担を左右するカギは運転手さんである。ある運転手さんに話を聞いてみよう。
「例えば北海道への輸送となると、フェリーの時間を含めると片道で25時間ほどにもなります。降りると腰がフラフラして真っ直ぐに歩けない今もいますから、やはり輸送の負担は大きいと思います。運転手として馬に負担をかけなように気を遣うことは、やはり急発進と急ブレーキに気をつけることです。肉体的な疲労は勿論のこと、精神的なイライラを起こさせないようにしなければなりませんから。それから輸送中のトラブルとして多いのは疝痛(馬の腹痛)でしょ。専門的なことはわかりませんが、狭いところでじっとしているのがよくないようです。だから競馬の帰りに車から馬を降ろして歩かせたこともあります。もちろん路上ではなくて、広場のような場所ですがね。不思議なもので歩かせると治る馬が多いようですよ。馬運車の運転手は肉体的な負担はそれほど大きくありません。普通の運転手は荷物の積み下ろしがありますが、馬運車の場合は運転だけですから。1つだけ大変なことは朝が早くて勤務時間が不規則なことです。長距離輸送なら時間が不規則になるのは仕方ありませんが、トレセンと競馬場の往復だけでも日によって時間はそれぞれです。仕事は1日に1往復だけで、もし1レースの出走馬を積んで帰るのならば昼過ぎには仕事は終わります。しかしそれが最終レースの馬になれば、トレセンに着くのは夜の9時を過ぎることもあります。そういう時は出かける時間が遅いと思うでしょうが、実はそうではありません。東京開催の場合、1レースの出走馬が美浦を出発するのは朝の4時です。それでは最終レースの出走馬の出発は何時だと思いますか。正解は朝の4時30分です。だから『輸送が苦手で滞在競馬しか良績がない』という馬でも出走するレースが遅い時間なら好走できるかもしれませんね。最終レースの馬でも、朝の8時頃には競馬場に着いていますから。我々も最終レースの担当になれば、朝の8時から夕方6時近くまで競馬場で待機することになります。馬券は買ってはいけないことになっていますから、その時間は仮眠をとったり車の手入れをしています。でも競馬が好きな人はレースを見ていますね。馬券を買えないのは仕事で馬を運んで来た時だけですから休みの日なら馬券を買えます。地方競馬の場合は調教師もこの車に乗りますから、『明日のレースは期待できそうなんだ』なんて話を聞かせてくれることもありますよ。そういう話で儲けた人の話も聞きますが、逆に痛い目にあった人の話も同じだけありますね」
かつぶ>9mのスペースというのは、確かバレーボールのコートが9m真角だからそれで大体わかりますかね。結構広いですよ。1頭うん千万する馬もいますからねぇ、その位設備や運転に配慮してないとなにかがあった時にいい訳できないもんねぇ。北海道だったら空輸の方が今は主流なんですかね? でも北海道は直前入厩ということではないから別に馬運車でも問題ないのか。この中にちょっとした馬券絡みの事が書いてありましたが、どうなんでしょうかねぇ・・・
競馬場は宝石箱より 2001.9.19
エロ小説がレースに集中させる特効薬。
騎手の勝負はレースの前日から始まる。ほとんどの騎手はレース前減量しなければならないので、人それぞれ目方の落とし方を工夫している。落とす目方が少なければ朝起きて新聞を読んだり、コーヒーを飲んだりしているうちに体が活性化してくるので風呂に入ってその目方まで落とす。起きてすぐは体が寝ぼけているから汗がでないのだ。
しかし私の場合はかなり重い方だったため、そんな程度ではダメだった。全然寝ないで目方を落とすようにした。前日、徹夜で麻雀をやりながら濃い酒をグビグビと飲む。寝不足が一番目方が落ちるし、酒が蒸発するときの脱水状態でもまた落ちる。そして時々、他の人と麻雀を交代して風呂に入ってくる。こうすると汗が出てまたもや目方が落ちるわけだ。勿論このあいだは一切食わない。またまるっきり飲まず食わずで寝てしまうのも目方を落とす方法のひとつだ。
検量はレースの70分前にあるので、そのギリギリまで風呂に入っているヤツもいるし、寝ているヤツもいる。減量の方法は人それぞれだ。私の場合は最後の仕上げとして風呂に入って汗とアルコールを取り除く。だいたいこれで検量に通るようになるのだ。
検量は服、鞍、腹帯などをすべて含む。これら付属物は合計で3キロ前後なので、53キロで乗るのだったら大体体重は50キロに落とす。私は大きいため52キロまで落とすのが精一杯だった。そこで私は日本で一番軽い鞍を使っていた。
これだけやっても目方が残ってしまう事もある。残る、といっても多くて2、300グラムぐらいのオーバーだ。ほんのちょっとのオーバーとはいえ、それでも検量に通らないから、そこは悪知恵を働かせることになる。
まずシャツを脱ぐ。これで100グラム、これでもダメならパンツも脱いでしまう。これも100グラム。さらにそれでもダメなら、今度は腹帯を切ってしまう。腹帯は上腹帯と下腹帯の2本あり、それを数十センチずつ切って巻き上げておく。勿論、あとでまともなのと替えるのだが、これははっきりいってインチキだ。見つかったら半年くらいの騎乗停止だから、何食わぬ顔で堂々と検量する。こうすればまずバレない。
いつもと同じ手を使うわけにはいかないので、鞍の背骨を抜いてしまう事もある。もちろんこうするとペラペラになってしまうから、まるっきり同じ生地の同じ格好のものを別に用意しておく。ほんの300グラムを軽くするため、騎手生命かけて七転八倒していたというわけだ。
こうして検量にパスすると、すぐに装鞍所に行って馬に鞍をつけ、控室に入る。控室での騎手もそれぞれだ。緊張で黙っているものもいるが、逆によく喋るようになるヤツもいる。人を自分の世界に引きずり込むために、無理に話しかける人もいる。私はお喋りするときはしたが、自分の世界に他人が入ってきて欲しくない時は、もっぱらエロ本を読んでいた。これは自分の世界に閉じこもるためでもあったし、ああ乗ろうか、こう乗ろうかと考えはじめるときりがないので、それを忘れるためでもあった。
実を言うと、私はエロ写真には全く興味がなくて、活字の方が写真よりリアルさがあって好きだった。女教師が不良生徒に迫られて、なんていうのを読んでいるとレースの事をあれこれ思い悩まずにすむのだ。
そうはいっても大きいレースともなると、やはり勝負の仕方を考えてしまった。大きいレースになればなるほど、どの馬にも勝つチャンスはある。それなりに勝ち上がってきた馬だから、能力差の大きい新馬戦とはちがう。レースについて色々と考え始めると、せっかくのエロ本が目に入らなくなってくる。こういうときはしょうがない。あの2頭さえヘグってくれればこっちのものだと相手の弱点を探したりする。
かつぶー≫この著者は関口睦介という元JRAジョッキーでした。辞めてからまだ7年くらいですから、知っている人も多いのではないでしょうか。「天才破滅型騎手」といわれ、技術はピカイチなんだが性格は破天荒だったらしいですね。私がシンクロするのは大体4、5年くらいなんですが、そう多く騎乗していたという記憶はないですね。現在彼が監修の勝ち馬予想、馬具の販売などのページがあります。
「Horse Race MUTSUMI」 http://www.m-design.co.jp/mutsumi/
MUTSUMIというのは彼の父親が「ムツミ」という冠のつくムツミファームのオーナーであったところからとっているのだと思います。
確かに減量苦というのは大変でしょうねぇ。特に彼は身長170cmあったそうですから、50キロというのはねぇ、厳しいでしょ。ボクサーだと試合と試合の間が数ヶ月あるけど騎手は毎週ですもんねぇ。常に節制しないといけない。それでもやっているんですから、やはりそれなりの魅力があるんでしょう。
なるほど、エロ本にはそういう意味でもつかえるってわけですね。これでエロ本をかみさんや彼女に見つかってもいい訳できるってもんです。「いいか、エロ本っていうのはだなぁ・・・・・・。」 果たしてこれで納得してもらえるのだろうか。けど、「私じゃダメなの?」と言われたら・・・それはそれで結構なことではありませんか(笑)
関口睦介著「天才騎手がぶちまける勝つ馬の秘密」より 2001.9.5
ファミリー・ナンバー。
ブルース・ロウがフィガー・システムを確立するまでに、すでに多くの血統研究者によりサラブレッドの根源にさかのぼっていろいろな研究が行われた。そしてこれらの研究家は、多くの牡系系統に着目したのである。
すなわちサラブレッドの成立に貢献した約100頭の輸入東洋種牡馬の中で、牡系系統の上から今日代表馬を遺しているのは、ただ3頭の種牡馬・・・ダーレーアラビアン、バイアリーターク、ゴドルフィンバルブのみであるという事実を非常に重要視した。ところがブルース・ロウは、勿論これらの3頭の馬が他のすべての東洋種牡馬より競走能力の優秀であったことは認めるが、現在これら3頭の子孫が競走場裡において活躍しているのは、これらの3頭は他の馬に比べてその配合牝馬がより優秀であったことによると考えたのである。つまり従来の血統研究家が主として、牡系系統にのみ重きを置いたのに対して、彼は牝系系統を重要視したのである。彼はその著書の第1章で次のようにいっている。
「フィガー・システムは、主として牝系系統の根源を追求することに基づいている。我々は種牡馬が競走馬生産における重要な役割を認めるとともに、牝馬が競走馬の体質と気質の上により大なる影響を及ぼすということを認めるものである。そして私は後に成功した種牡馬は、その卓越性が主としてその血統中のある牝馬との結合に由来していることを立証していくつもりである。」
「英国のサラブレッド登録書の第1巻には、約100頭の基礎牝馬が含まれている。これらのうちで登録書の最新の巻に、その子孫が現れてくるのは約50頭で、その中で現在の血統上から見てなんらかの重要な役割を演じている馬は20頭たらずである。またさらにその中の約9頭のみが現代が一流馬の血統に必要欠くべからざるものと考えられる。実際現代の競走馬のすべては、その血統中にある年代をさかのぼると、直系かまたは傍系分岐かを通してこれらの9頭の全部を含んでいる。」
これらによって、読者はロウが数字による牝系の分類を考えるに至った道程を知る事が出来るのであろう。
| 族番号 | 根幹牝馬 | 同族中の代表馬 |
| 1 2 3 4 5 8 11 12 14 |
トレゴンウエルズ・ナチュラル・バルブ・メア バートンズ・バルブ・メア ザ・ダム・オブ・トゥ・トルゥ・ブルーズ レイトン・バルブ・メア ドーター・オブ・マッシイズ・ブラック・バルブ バスラー・メア セドベリイ・ロイヤル・メア ア・ロイヤル・メア ジ・オールドフィルド・メア |
ウェールボーン、ミィンティング ボルテイガー、ブラックロック ストックウェル、サーピーター マッチェム、ソーマンビー グラディアトゥール、ハーミット マースク、ニューミンスター、サルタン レギュラス、バードキャッチャー、セントサイモン エクリプス、スターリング、プリンスルドルフ タッチストーン、マカロニ |
彼は英国の3大クラシックレースであるダービー、オークス及びセントレジャーの創設以来の勝ち馬について調べた。そしてこれを牝系系統によってその祖先にさかのぼってみた。するとこれら数百頭の勝ち馬も、その牝系の祖は前期登録中の100頭の牝馬のうち、ただわずか34頭の牝馬に帰するのである。そこでこれを勝利度数の一番多い系統を第1族とし、2番目に多い系統を第2族とし、以下これに準じて34族まで分類した。ただしこれはその子孫がクラシックレースにおいて1勝もしていない系統を含めると第43族まで分けられていて。これがブルース・ロウのファミリーナンバー(族番号)といわれるものである。
そして1族から5族までは競走成績が最も優れているので、競走族(Running Family)と称えた。ところが種牡馬としての能力は競走成績と必ずしも一致せず、優秀な種牡馬として名を挙げた馬は、第3族、第8族、第11族、第12族、第14族に属するのが多いので、これらの5族を種牡馬族(Sire Family)と称したのである。第3族は競走族及び種牡馬族を兼ねているので貴重な系統とされる。
かつぶー≫これが日本語訳本で出版されたのが昭和17年のことで、出版したのは日本競馬会(現在の日本中央競馬会の前身)だそうです。どうなんですかねぇ、私はそういう方面の人間ではないですから今でも使われているのかはわかりません。どうも今では基礎牝馬の分類にこのナンバーが使われていることが多いのではないですか。今でも「ファミリー・テーブル」なんて牝系の本は売られていますよね。1冊十何万もするようですが・・・。今でも種牡馬事典は結構ありますけどね、牝系事典というのはそうないんじゃないですか。今もこのような族番号になってるんですかね?今走っている有名な馬は一体何族なんだ、という見方も面白いのではないですか。また日本のファミリーナンバーというのもあってもおかしくないと思いますけどね・・・あるんですかね?
「続・趣味の競馬学」より 2001.8.29
パドックで見るべきこととは。
パドックは、僕は横の関係ではないということをよくいうんですよね。例えば 10頭そこに出ていれば10頭の比較ではないんだよと。本当の事をいうと縦の比較なんで、その馬の前走と、その前と、その前と、あるいはデビューの時と、今の状態とを比べるのであって、10頭並んだ馬にどの馬が1番、どの馬が2番と順番をつけるようなものではないと言いたいんだ。
大概の人は、どれがいいかと順番をつけて考えるがね。
パドックに馬が出てきたら、サーッと一通りみて元気の良さそうな踏み込みの力強い馬がいいと言うけれど、それはちょっと違うんですよ。元気のいい馬、気合いの乗っている馬、そしてその気合いは乗りすぎて焦れ込みになってしまう馬と様々だが、気合いと焦れ込みの見分け方もそれぞれ個性があるわけだから何ともいい難い。
よく2人引きパドックを回っている馬がいるでしょう。いかにも気合いが乗っているように見えるが、これは焦れ込んでしまって厩務員が1人では手におえないので2人で引いているんだよ。
馬が小走りになったり、体を激しく振ったりするのを少しでも押さえてレースに出る前に体力が消耗するのを防いだり、危険防止ということもあってね。だから焦れ込みの激しい馬など2人で引いた方いいんだけど、人員不足ということもあってやむなく1人で引いているということもあるんだ。
担当の厩務員以外の人が美浦から来るのも大変なことでね。1頭の馬を厩舎全体で考えているように見えるが、内情はきわめて個人的であって、自分の担当馬がレースに出なければ自分の出番はないと思うわけですよ。勿論レースに出なければ、美浦でその馬の世話をしているわけだから忙しいしね。だから2人引きの馬の方が気合いが乗っているということではないんだよ。
でもパドックを見ていいなと思った馬が来る事もあるんですよ。だからいいなと感じた時はそれを買うべきだと思うよ。どんな素人でも自分の経験が少なくても、それは何か馬が訴えていて微妙な関係がそこに出来ていると考えられるからね。
こういうことがあるんですよ。パドックで元気の良さそうな3歳馬がいたんで、その馬の馬券を買ったら見事的中ということがね。勿論来ない時だってあるんですよ。ただ来る確率が高いということでね。
だからパドックで僕は大体決めているんですよ、3歳の若駒の場合はね。成績なんかまだ全然わからなくて持ち時計をすぐ更新するでしょう、あの頃の馬って。ですから成績柱もまったく当てにできないじゃないですか。そうするとパドックで元気よさそうなのを買うと、どれかは絡んでくるんです。はずれる事もあるけれど2着には来るとかね。
でも元気のいいのと焦れ込んでいるのと区別をするのは、本当に難しいことなんですよ。それにのびのび歩く馬はいいなんていうけれど、馬が自然にそう歩くんじゃないんだ。引っ張っている厩務員の性格にもよるんだよ。その人が緊張していれば、馬にもわかってしまう。手綱を持つのも簡単なようで結構難しいんだ。それに歩き方、つまり歩様というのは生まれつきの体型によっても変わってくるから、その馬の特徴がわかっていないと何とも比較のしようがないね。
また毛づやというのは体調を知る上でも必要になってくるが、ただ冬に向かうと大概の馬は冬毛が出てボサボサになってくる。ブラッシングしてもつやなど出ない馬もいるが、逆に夏は汗で馬体が光って見えることもある。毛色によっても黒光りして非常に良く見える馬もいるが、毛づやそのものよりも能力を考えることがまず大事で、毛づやが悪くても能力が上ならキチンと走るからそれほどきにするものでもないね。ブラッシングしているかどうかなど、厩務員の馬に対する愛情、姿勢も毛づやには表れるんだよ。
それから、ジョッキーの勝負服とお揃いの耳覆いや覆面をつけている馬や、リボン、ボンボンをつけている馬など見かけるが、これは馬主の希望というのもあるけれど、それより厩務員がお洒落であったり、愛情の表れであったりするんだよね。そういう厩務員は例外なく馬が好きなんだ。そういう人が担当している馬は丁寧に扱われ、手入れもいい。お金のためだけに仕事をしている人と、本当に馬を愛している人とは姿勢が違いますよ。
馬の尾をよく見たことがありますか。尾は舵の役目をしているというが、この尾の付け根の部分、根元で毛のはえていないところがあるでしょう。屋根というんだが、ゴムのようになっている部分。実はここに神経が集中していてね。神経質だったり、緊張している馬はここが絶えずブルブルと震えているんだ。耳もそうだよね。神経質な馬は耳を前に向けたり横に向けたり、しぼったりと絶えず動かしている。
だからこの尾の振り方がおかしな馬は、ゲートを教える時でも叩いたり叱ったりせず人参をあげてなだめながら、愛情をもって教えてあげないと手におえない馬になってしまうこともあるんだ。
人間の接し方で、馬の気性も随分変わってしまうんだよ。馬は非常にデリケートだからね。
かつぶー>私はパドックはほとんど見ないのですが、縦の比較というのはその通りでしょうね。調教も同じようにその馬の状態を見極めるためのものですから、その馬の走った時の状態を知らないといけないでしょう。ただ調教でも同様に、1頭1頭の状態を覚えるなんていうはほぼ不可能です。何千頭もいるんですから。なのでいい方を探すよりは悪い方を探す感じになってしまうのではないですか。
またテレビでやってるパドック解説は全く当てになりませんね。ほとんど自分で印しつけた馬を評価してるだけですから。また馬の状態の善し悪しの事などいわないで成績で言ってるんですから。8/11の土曜11Rのジュエリーシチーについてある解説者は「全く太く感じませんね」なんて言ってましたが、テレビで観てる素人の私でさえ「ありゃ太いよ」とわかったくらいですから。
けどパドックは悪い、と否定しているわけではないですよ。相馬眼をつけるには1万頭馬を見ないとダメだ、とか一般に言われているように馬にも触ったことがない私が見れる訳がないというだけです。
こんな私でも、ただ1頭だけわかった馬がいましたね。トウカイテイオーです。この馬の場合は何故かよくわかりましたね。負けた天皇賞(春・秋)は両方ともおかしかったように私には見えました。なにがおかしかったとは言葉には出来なんですが、何か元気がなかったように見えたんですよね。
大川慶次郎著 「最強の競馬学」より 2001.8.22
競馬記者。
―でも朝早くてつらいでしょ
「美浦トレセンに寮がありますから、調教が7時開始だと6時半頃起きれば大丈夫です。僕は今、取手に住んでいますがそれでも6時ちょっと前に起きればOK。たいしたことはないですよ」
―平均的な1週間の流れを教えてください
「水曜、木曜がトレセン取材で、特集記事のネタを集めて、金曜に原稿を書きます。土・日は競馬場でレースの模様、レース後のコメントなどを取材しながら同時に原稿にします。月曜には雑誌を出さなくちゃいけないので、当然その日中に書くわけです。で、月曜は特集記事の締め切り。特集記事は1週間先行して進めているので、前週取材したものを書き上げて入れるんです。書き上げたら、次週のテーマを決めます。そして火曜日がやすみ。そんな感じですね」
―休みは週1日ですか
「それも休めるとは限りません。でも好きでやっている仕事なんで、そんなに休みたいとは思わないですよね」
―いわゆる内部情報で大儲け、なんてこともあるのでは
「ほとんどありません。そういう情報が飛んできた時に限って来た試しがないんです。入ったばかりの頃は、結構みんなはまるんですよ。例えばある馬を取材するでしょ、関係者の話を聞けば聞くほど、この馬で決まりしか思えないときがある。ところがレースでは陰も形もない、ってことが実によくあるわけで。『どうしてみんなウソいうのかなぁ』なんて素朴な疑問のつぶたきをよく耳にしますよ」
―それでも毎週必ず競馬場にいるんだから、どうしても馬券は買わざるをえないでしょ
「みんな好きでこの仕事やってる人ばっかりですからね、そうなります。なかには仕事と趣味の区別がつかなくなったりする場合もあります。1988年の桜花賞、ある記者がフリートークで目一杯勝負をしていたんですが、3着だった。そうしたらその記者さん、『馬券でやられたんだから、とてもじゃないけど原稿なんか書けません』と会社に堂々と主張したらしい。普通の仕事では考えられない局面ですよ。でもその気持ちはわかります。好きなゆえの甘えが出ちゃうんですよね」
『本当に好きなことは仕事にするべきではない』という人がいる。やりたいときにやればこそ楽しいのであって、いやおうなくやらされているうちに、好きなことも苦痛でしかなくなる、というのである。ましてマスコミともなれば、ディープな部分に食い込んでいくうちに『見なきゃよかった、知らなきゃよかった』と幻滅してしまう事も多いと聞く。
―競馬が好きな人が、好きだからこれを仕事にしようと思う。気持ちはわかりますが、それでよいのでしょうか
「好きだからただその中にいたい、と思って入ってくるとすぐにつまんなくなるでしょうね。スタージョッキーと仲良くなりたいとか、毎週競馬ができるとか、それだけじゃすぐにいやになりますよ。僕がいい例です。小島太さんの隣にいたいというだけで入ってきたんだから、すぐカベに当たりました。競馬の中でどんな仕事をしていきたいのか、ある程度具体的な考えをもっていないと、マズイと思いますよ。たとえば良くあるのは『競馬が好きで、競馬への思いを書いていきたいから記者になりたい』というケースなんですが、この考え記者の現実の仕事には大きなギャップがあるんです」
―好きであることは、最低限の必要条件にすぎないということですか。
「好きな人が集まってしている仕事なわけですからね。勘違いしやすいのは、好きな事って自分じゃ良く知ってるつもりになっちゃうでしょう。一から勉強しようとか、人の話を何でもよく聞こうという、謙虚さを忘れがちになる。たとえば僕が競馬記者になったら、わからないから一から勉強すると思う。それが好きな競馬だと、とりあえず自分の土俵の中でしか処理しようとしなくなる・・・さっきもいったけど、これ好きであるがゆえの甘えなんですよね」
かつぶー≫私もまぁ、好きで競馬のこんなHPやってるもんですから競馬記者は憧れましたね。学生の頃はちょっと本気で考えてましたっけ(笑)。どの仕事にも言えることですけど、上に書いてある「本当に好きなものは仕事にするべきではない」というのは、その人の考えによって違ってくると思います。大体最初は好きだからで入りますからね。ただ好きな度合いが強ければ強いほど、そのディープな所を垣間見た時はつらいでしょうね。ロマンとかいってるだけでは勤まらないでしょう。また競馬記者というのは予想が当たってナンボというのもあります。また新聞によって特色を出すために無理に穴馬に印をつけなくてはいけないこともあるでしょう。人それぞれ信念をもっやっているのでしょうが、競馬は結果が見えないですし、見つからないから難しいですね・・・
競馬お仕事読本より 2001.8.15
馬場管理。
馬場管理という点からみると、日本の競馬は条件が悪い。ローカル以外の競馬場では年間40日の開催があるが、これはヨーロッパの競馬場に比べると非常に多い。フランスのシャンティー競馬場でレースがレースが行われるのは年に5日だけだ。これに対してアメリカの競馬場は開催日数が多い。西河岸のサンタニア競馬場では、年間に120日もの開催がある。だからアメリカの競馬場は芝のレースが少なく、ダート競馬が中心になる。さらに日本は雨が多いうえに季節による温度差が大きい。1年を通じて芝の状態を良好に保つのは至難の業といえよう。
競馬場の芝はここ最近大きく変化している。日本の競馬場の芝コースは従来、野芝や高麗芝が使われていた。これらは暖地型芝草といわれ、蒸し暑い夏には非常に適した品種だ。しかしこれらの芝には大きな欠点があった。それは冬枯れするという点である。もっと少し前までは「芝は冬に枯れる」という事実は当然のこととして受け入れられていた。しかし11月下旬のジャパンカップに招待された外国の関係者から「芝が短くて硬い」「黄色い芝なんて見たことがない」という声があがった。外国の競馬場で主に使われているのは洋芝といわれるもので、これらは芝草が長くてクッションが良い。しかも冬に枯れないという長所があった。
1989年、これまでダートコースしかなかった札幌競馬場に芝コースが完成した。札幌に芝コースがなかった理由は、夏が短く芝が育たないという点だった。野芝は高温で成長するために、夏が短い札幌は条件が悪い。そこに出てきた案が洋芝の導入だった。ところが洋芝にも欠点があった。野芝のように根が地下で絡み合うという性質に乏しいため、どうしても耐久力がない。さらに最大の欠点は暑さに弱いことだった。しかし札幌には他場に比べて有利な条件が揃っていた。開催日が少なく、そして真夏でも夜には気温が相当下がった。開催日数が少なければ芝の損傷は少ないし、日中の気温が高くても夜が涼しければ芝もひと息つけるからだ。
その札幌の芝コースは関係者の間で非常に好評であり、「何とか他場でも洋芝を」という声があがった。しかし他場には条件が酷だったそこで考え出された苦心の策がオーバーシード、つまり野芝のコースの上に洋芝の種を蒔くという案である。これは野芝が枯れる冬の間だけ洋芝の馬場に変身させるという、世界にも例を見ないユニークな方法だ。中山競馬場を例にして、1年間の流れを見てみよう。
中山の1年は正月開催からスタートする。野芝は全く枯れているが、馬場はオーバーシードされた洋芝によって緑色だ。そして2月に1開催の休みがあるが、野芝はこの頃に芽吹く。しかし3、4月の2開催はあまり状態が良くない。洋芝は痛んできているし、野芝はまだ育っていないからだ。皐月賞が最終日に組まれているが、皮肉にも馬場は1年で最も悪いコンディションとなる。さて野芝は夏に成長するが、その時はオーバーシードされた洋芝が邪魔になる。従って洋芝は皐月賞の後すぐに消去される。札幌と違って一年草のイタリアン・ライングラスという品種を加えているのはそういう理由からだ。だから次の9月開催は野芝だけの馬場になる。状態は最高、例年この開催は速いタイムが出る。そして9月開催が終わると今度は洋芝の種を蒔く。次の開催は12月、それまでの2ヶ月の休みは理想的だ。12月にはすっかり洋芝が育ち、9月と同様に最良のコンディションとなる。こうしてみると中山は芝が育つ時期に開催がなく、馬場管理の面では恵まれた日程になっている。これが東京ではそうはいかない。10、11月に2開催が組まれているが、洋芝をオーバーシードさせようと思えば8月に種を蒔かねばならない。ところがそれでは暑すぎて発芽しない。しかしジャパンカップの終了後に種を蒔いたのでは、今度は寒すぎてやはり芽が出ない。
さて芝馬場の管理は植物が相手だけに色々な作業が必要となる。散水や芝刈りは勿論の事、肥料散布や害虫駆除など大変な手間がかかる。耳慣れないところではエアレーションといって、芝に穴をあけて空気を入れる作業もある。これは直径2センチ、深さ20センチの穴をあけて中に空気を送り込む事により、路盤を柔らかくして芝の根の発育を促す。その他には痛んだ芝を開催終了後に張り替える作業もある。しかし張り替えた芝は傷みやすいので、回復しそうな芝は極力残す。そのためにこの張り替え作業はとても細かい単位の仕事になり、たくさんの時間と人手が必要だ。芝のレースというのは実はとても贅沢なことなのである。
今度はダートコースの維持管理について触れてみたい。ダートコースは芝コースのように季節に終われる作業は少ない。構造は路盤の上に6~7センチのクッション砂が乗っており、この砂を均一の厚さに保つ事が重要な仕事となる。砂は見たところ毎日同じようでも、実はレースや風雨などで少しずつ変化している。砂の厚さを測定して移動した砂を修正するという作業は、開催中ならば毎日行わなければならない。そしてダートコースの難敵は冬の凍結だ。クッション砂に凍結防止剤を混ぜる事によってある程度は防止できるが、それでも氷点下5度位まで気温が下がると凍り始める。表面のみの凍結ならまだしも、下まで凍っては砂がクッションの役目を果たさなくなる。こうなってからは手遅れであり、防ぐ方法は凍る前に砂をならすしかない。従って気温の低い夜は、一晩中ハロー(車に牽引させてコースを平らにする道具)を掛け続けることになる。
冬のもう一つの敵は雪である。蹄鉄で踏まれた雪は硬くなり、滑りやすくなるので非常に危険だ。しかも除雪作業は簡単ではない。芝コースでは機械を使っての除雪が不可能だから、人海戦術しか方法がない。ところで夜中に雪が積っても朝に小降りになれば、大方のファンは「競馬ができる」と思い込むが、実際には雪が完全に止まらなければ除雪は始まらない。除雪が必要な場所はコースだけではなく、競馬場全域である。ある場所での作業を終えても、別の場所の作業に移れば元の場所にまた雪が積ってしまうからだ。
かつぶー>これ見ますと芝コースは非常に厄介で金がかかるという事ですねぇ。それで馬場が悪いとか色々言われてるんですから、業者はたまらんですね。だったら開閉式のドームにしてしまえばいいじゃないか、芝の管理も楽になるし天気も気にしないでいいし。いい事尽くめという考えも出てきそうなもんですが、一体いくらかかるんでしょう(笑)。また建築技術的にあの広さのドームなんか出来るんでしょうかね?まぁできなくもなさそうですけど、維持費は結局変わらないような気もしますし、重馬場のない競馬ばかりしていてもそれ以後の競馬の発展はないように思えますね。
競馬場は宝石箱より 2001.8.8
なぜ騎手は鞭を使うのか。
鞭は馬を操り、加速させるために使われる。許せないことではあるが、時には馬を罰するために使われることもある。現代の競馬を批判する多くの人達が鞭の使用は残酷であり不必要であると見ており、あらゆるレースにおける鞭の全廃をうるさく要求している。国によってはすでに鞭を使う場合の使い方が厳しく制限されている。たとえばスカンジナビア諸国では、鞭を持つ手を手綱から離すことを禁ずることで、鞭打ち動作を大幅に制限している。その他にも1回のレースで鞭を使う回数が制限されている国がある。審議官が常に「鞭の過剰使用」を監視し、度を越した騎手は罰せられることになっているのである。
鞭の使用に反する声は競馬界内部からもあがっている。有名なサラブレッドの権威の一人などは、個人的な意見として鞭を使って「無慈悲に家畜を叩くのは、人間、それも文化程度の低い人間に固有の性癖」のなせる技といっている。引退した調教師の一人は最近になって、「ごろつきどもに長く鞭を持たせすぎた」という大胆な発言を行っている。そしてさらに長く競馬界に身をおいた経験に基づいて、自分も「疲れきった障害馬が鞭打たれる光景を見るにつけ胸くそが悪くなる」ことを認めている。その前調教師はそのような発言をしたすぐあとで、別に自分は老いぼれて柔になったからこんなことを言ってるわけではないとも断言している。そして自分の発言が競馬界の強硬派の連中のあいだでどんな反発を巻き起こすかも十分すぎるくらい心得ていると語っている。しかしすさまじい鞭の使い方をする騎手たちでさえ、世論の動向には気づき始めている。「鞭を振り回すあほうども」というののしりが新聞の見出しを飾った件の前調教師は、「平地競走のちび騎手たちが鞍をはずす前に馬の尻をなでて、みみず腫れをごまかそうとするのを見逃さないように」と人々の注意を喚起している。一般の人達の態度は、馬に対するそうした残虐行為に関する使い古された言い訳をいっさい拒否するように変わってきている。そのような一般大衆の態度の硬化に対しては、競馬界の幹部だけではなく実際に鞭をふるっている騎手たち自身も居心地の悪い思いをし始めている。
では冒頭の疑問に対する最終解答はいかなるものだろうか。今後とも鞭は使われ続けるべきなのだろうか。専門家の多くは、自分の馬が不要な衝突を避けて馬混みを抜けるための指示を与える操縦道具ともいうべき鞭を騎手から取り上げたりすれば、大変な事故が起こるだろうとの意見を述べる事だろう。また安心感をもたらしてくれる群れを離れて先頭に抜け出すよう馬を促すには、最後の直線で軽く鞭を当てる事が欠かせないのだという意見も聞かされることだろう。そういう意見が正しいとしたら、いったいどうしたらいいのだろう。
明らかに妥協は可能である。鞭の使いすぎに対する罰則を強化すればいいのだ。ただしその場合、「使いすぎ」という告発はなるべく寛大になされなければならない。実のところ、軽く鞭で打つことは自分の太ももをぴしゃりと叩く事よりも苦痛の程度が軽い行為であり、馬のように敏感な動物に対してはそういう使い方で十分なのである。苦痛を与える必要はなく、単にきっかけを与えるだけでいいのだ。実際には、鞭は物理的な衝撃をまったく与えなくても、馬に見えるように前に出すだけで大きな効果をもたらす事ができる。たとえまったく体に触れられなくても合図を了解出来るほど、馬は頭がいい。そして頭のいい騎手ならば、騎乗している馬によりいっそうの力を出させる手段として「鞭を見せる」達人になることが可能である。
こんなにも簡単なことですむのに、なお問題があるのはなぜだろう。それは重要なレースで勝たなくてはいけないというものすごい重圧が騎手にかかるせいである。自分が所有する馬の尻を騎手が鞭打たずに僅差で負けるのを見た馬主は、全力を尽くさなかったといって必ず騎手を責めることだろう。大金をパーにする可能性のあるギャンブラーたちは、馬券を買った馬が僅差の2着で直線になだれ込んでくれば思わず「追え、追え(もっと鞭を使え)」と叫びかねない。これは何もそうした人達がことさら残酷だからというわけではない。重要なレースの最後の瞬間に人々に乗り移る熱狂がふだんの慎みをかなぐり捨てさせるのである。これとまったく同じことは一部の騎手でもおこる。その時騎手は、もうちょっと馬を痛めつけるだけで、馬はスピードを上げて先頭を切ってゴールするのではという気持ちになっているのである。そのために騎手達は鞭を軽く当てたり見せたりするのではなく、馬を追い出すために剛腕の許す限り強く何度も鞭を振るいだす。一般の反感を買い、その多くを競馬の批判者にしているのが騎手達のそのような振る舞いである。
しかしそのように激しく鞭を振るっても、騎手の思惑以上には馬の脚は速まらない。尻に一鞭加えられると馬はすぐ背後に殺し屋が迫っているからもっと速く走らなければという気になるわけだが、その痛みがあまりに激しいと馬は別の行動に走りかねない。痛みのもとから身をかわそうとする行動にでる可能性があるのである。鞭は常に体の一方の側に加えられる為、体のそちら側が突如がくんと傾いて馬のリズムを崩し、コンマ何秒という貴重な時間をロスすることになりかねないのだ。それに引き換え軽く当てるだけの鞭は、象徴的な攻撃という意味をもつ。それは騎手が馬にして欲しいことを伝える合図であり、余力が残っていれば馬は猛然とダッシュをかけることになる。ところが激しい痛みは現実の攻撃を意味する。そのために馬は(斜め前)に暴走することでそれに応える。ようするに鞭の乱用に対するいい訳はいかなる状況であろうとも成立しないのである。
かつぶー>まぁどっちでもいいんですけどね、鞭を使おうが使うまいが。何か鞭を使わないほうが騎手の優劣がはっきりしそうな感じもしますね。鞭が必要か否かは何頭かの馬で鞭使った時とそうでなく一杯に追った時のタイムを比べてみればいいんじゃないですか。騎手ならハロン間のラップはほぼ正確にわかるでしょうから、上がり3Fまで15-15で行ってそこから追ってくれと言われれば、ほぼできるんじゃないですか。それを何頭かやって平均とればわかるんじゃないでしょうか。何発までという規制かけてもいいですけどね、それによっての反則とかで着順の変更になるんだったら鞭なんぞないほうがいいかもしれませんが・・・
競馬の動物学より 2001.8.2
勝負服。
勝負服の登録は馬主一人につき1種類に限定、現在2500種の勝負服が登録されている。なので勝負服を見れば馬主がわかるし、同じ馬主の馬が2頭出ていれば鞍上の騎手は同じ勝負服を着ている。
遠くからでも目立つようにどんなに派手であっても構わないが、まったく規制がないわけでは勿論ない。
まず色は13種類に限定。カラフルな印象が強いが、使ってよいのは赤、桃、黄、緑、青、水、紫、薄紫、茶、えび茶、ねずみ、黒、白の13色のみ。この中から3色までを組み合わせて使用できるが、4色以上は原則として認められていない。
また模様にも同様に規制があって、全部で17種類。列挙すると輪、一文字、帯、山形、のこぎり歯型、たすき、十字たすき、たて縞、格子、元禄、うろこ、ダイヤモンド、井桁絣(いげたかすり)、玉あられ、蛇目散(じゃのめちらし)、銭型散、星散。この他指定色だけの無地も認められている。布地の制限は特になし。
■模様一覧
かつぶー>大体胴と袖の模様が違うものが多いですかね。これは馬主になったら迷いますねぇ。私もあさはかながら考えたりしましたねぇ・・・。自分だったらこの勝負服で登録したいと思いますね。
胴は黒無地、袖は黒にねずみの一本輪です。ひょっとして誰かこの服登録してるんですかね?
そんな心配しても仕方ないか・・・ないよな・・・
競馬ハンドブック・競馬おもしろ雑学事典より 2001.7.26
買わない馬券は何故よく当たるのか。
「予想はドンピシャ! 買っていれば、大儲けだったのに・・・」
よく耳にするフレーズである。
こまめに馬券を買いつづけている時ははずれてばっかりなのに、馬券を控えた時に限って予想が大当たり。なぜか不思議なくらい買わない馬券はよく当る。そんな思いを普段から抱いている人も少なくないのではなかろうか。
「それが馬券というものさ・・・」などと悟りきったポーズをとってみるのも悪くはないが、ここではひとつ冷静になってこうした現象は何が原因で起こるのか考察してみよう。
まず考えられるのは「釣り逃がした魚は大きい」的な錯覚がある場合。馬券を買っていない時でも予想の的中率に変わりはないのだが、チャンスをみすみす逃がしてしまった悔しさのために、的中した場合のみが強烈に印象づけられてしまったというケースである。想像するにこのケースが一番多いのではなかろうか。
またこれとは異なり、馬券を買わない時の的中率が事実馬券を買っている時のそれを上回っている場合も十分考えられる。普段は当てよう当てようという意識が強すぎて冷静な判断が出来ていない。高配当を仕留めようとする欲望で目が曇ってしまっている。結果馬券を買わない時の方が邪心のない純粋な勝ち馬予想となるために的中率アップとなる、というケースである。オッズ板を見ながらでないと予想に身が入らないという人は、思い当たる節があるのでは・・・。
そして最後にもうひとつ考えられるのが最も絶望的なケース。つまり単にギャンブル運に見放されていることが全ての原因というケースである。買わない馬券が良く当たるというよりも、買う馬券が当たらなすぎるという状況を考えてもらえばよいだろう。この場合はちょっと手の施し様がなさそうだがいかがなものか。
いずれにせよ、買ってない馬券の予想が当たったところで自慢にはならぬこと。「買っていれば大儲け・・・」なんて口にするのは自分の馬券下手を暴露しているようなものだろう。
かつぶー>まぁ良く聞く話ですよね。私はあまりそうは思わないのでそういう事はあまり言わないですね。私は予想の能力は名人だろうが素人だろうがそうかわりは無いと思っています。レースは中央競馬だけでも1日2開催としても24レースある訳で、それを全部はずれる予想をする人はそうそういないでしょう。競馬新聞だって、そこで予想出してる記者だって幾つか当たっているレースはありますもの。勝つか負けるかはどのレースを買うかにかかっていると思うんです。そこの見極めが出来てる人と出来てない人の差なんでしょうね。
私の場合は、一応関東なら全レース予想してその中から面白そうだな、というレースを買うことにしています。なので勝ちとは縁は遠い方ですね。ですから他のレースで当たる事はしょっちゅうです。けど当たったからといって「買っとけばよかったな」とはそれ程思いませんねぇ。逆に「当たったという事は自分の考えは間違いなかったんだな」という風に思う事の方が多いですね。しかし喜ぶのではなく自分は勝負馬券の見極めが出来てないという事がいえるので、反省します。
またHPで買い目を出していれば当たりハズレはわかりますから、それなら買っとけばともいえるんでしょうけどね、買い目もなにもわからない人から「買っとけば・・・」と言われても「ああ、残念でしたね」とくらいしか言えないですから、いちいち人のHPでそればっか書くのはいかがなものか、という風に思いますね。
あるところで「自分は買わない馬券が当たるので、馬券は買わずに予想を売ろうと思う」という人がいたのですが、私に言わせれば本末転倒だと思いますね。勝負馬券の見極めの出来ない人間がどうやって人に勝負馬券を提供できるのでしょうか?全レース予想して「自分は買わないからどれでも好きなレース買ってくれ」とでも言うんでしょうか。予想を買う人はその勝負馬券の見極めが出来ない人達なのに。自分の予想に責任を取れない人の予想を買うなんてことは出来ませんよね。
競馬おもしろ雑学事典より 2001.7.21

