競馬場の楽しさ。
数ある競馬を題材にした映画で最も気に入ったのが「のるかそるか」という題名のアメリカの映画で、タイトルからもわかるように競馬といってもコースの外、つまりスタンドのファンが主人公である。
競馬の映画となると内容よりもレースシーンや競馬場の風景に目が向いてしまう熱心なファンも多いかと思うが、勿論そういう面からもアメリカ競馬が堪能できる。それはともかくとしてこの作品は味付けがとても秀逸。ストーリー自体は主人公が馬券をころがして儲けるという至って単純なものだが、心理描写がとてもよく出来ているのだ。おそらく普段から競馬場に出入りして馬券歴も相当、という人が作ったに違いない。これから見る人のために細かい内容の紹介は控えるが、競馬場を訪れるファンの心理が巧みに表現されているのだ。
競馬場に集まる人々とうのは実に不思議なもので、お互いにお金の取り合いをしているのに奇妙な連帯感を持っている。それは見ず知らずの他人同士であっても競馬の楽しみを知っているという共通点を持っていることで、お互いを無意識のうちに認め合っているからだと思う。
なぜ人々は競馬場へ足を運ぶのであろうか。レース自体の持つ魅力。そして一獲千金を夢見ることのできるギャンブルとしての魅力、それは勿論である。しかし競馬場では色々な人と馬券という共通点の話題によって関わることが可能だ。
一人で行ってもまわりの人の会話は耳に入ってくるし、馬券が外れた時の嘆きに頷いてくれる人も多い。思えば競馬場というのは特殊な場所である。そこでは全員が平等の立場だ。社会的な地位や会社での肩書きは全く用を成さない。そしてまた何を言っても大概の事は許される場所である。
街中で面識のない人に自分勝手なことを話しかければ変人扱いされてしまうが、競馬場の中では誰に話しかけるでもない一言が影響力を持つ場合がある。特にレースの予想ともなると他の人の見解というのも聞いてみたい人は多いようだ。普段は自分の信念を曲げないようなワンマン社長でも、きっと競馬場の中では他人の意見が気になるに違いない。私は競馬場でも賑やかにやるのが好きでよく何人かの友人と連れたって行くのだが、こんなことがあった。馬券売場のすぐ上にあるオッズのモニターを見ながら友人の一人が、「よし、3-6で間違いない」と言った。彼がそれほど馬券が上手でないことを知っている我々は相手にしなかったが、かなり多くの人が振り返って声の主を確認し、「そうか6枠の逃げ残りという手もあるな」というような表情をして専門紙の成績欄を再確認していた。その馬券は確か30倍前後の穴馬券だったと思ったが、半年に1度の偶然で3-6が入った。
そして次のレース、また同じ売場にいくと、今度は何人かがその友人の買い目を注目している様子であった。「これは2-3だな」と彼が言うと、まわりの人は一斉にオッズのモニターを注目した。「さっきの中穴、1点だぜ」と隣の人に解説している人もいた。その2-3は2番人気で数百円の配当だったが、また当った。3年に1度の珍事である。
そして最終レース、もう彼は人気者である。「また当ったやないか。最終も教えてくれへんか」と声がかかった。元来がお調子者の彼は、よせばいいのに「1-5でなにもないよ」と言ってしまった。おそらく前日から熱心に持ち時計など検討してきた人も多かったと思うが、こうなると弱い。自分の予想そっちのけである。
冷静に考えれば競馬の予想ほどアテにならないものはないことは誰でも知っている。ところが最終レースともなればもう後がない。かなりの人が1-5を買ったはずだ。これで本当に1-5になれば彼は「競馬の神様」になれるところだったがそんなにうまく行く訳がない。1枠も5枠もどこにもなかった。しかし彼を取り巻いた人達は恨むでもなく苦笑いし、おそらくは少しだけ自分自身に腹を立てて競馬場を去っていった。
馬券というものは自分の懐を痛めて投資するものである。だから当然のことながら自分の責任で買うものだ。商売で予想を売っている人はともかくとして、自分の予想を人に言ったからといって外れても責任はない。一般の社会では自分の言った事には責任を持たねばならないものだが、競馬場では無責任な発言が許される。そういう貴重な場所なのである。それだけにまだ見知らぬ人との会話は楽しい。
エアコンの入った部屋で1人テレビで観戦するのも悪くはないが、競馬場で色々な人に揉まれて1日を過ごすというのはとても楽しい。この「のるかそるか」を見ると、そんな競馬場の楽しい雰囲気が本当に良く伝わってくる。もし競馬場でこの映画のように隣の人がツキにツイて当り続け、それを全額ころがしてゆくところに居合わせたらどうなるだろう。きっと気になるはずだ。主人公が馬券を買って戻ってくるところを拍手で迎え、ころがした勇気に敬意を表して自分の馬券そっちのけで応援するシーンは競馬歴の長いファンほどその心情は良く分かると思う。まだ見ていない方はぜひ金曜日の夜にでも見て欲しい。
かつぶー>「のるかそるか」、これは私は題名は知っていたのですがまだ見たことないんですよねぇ。是非見たいと思っているのですが、なんせレンタルビデオ屋には行かないもんでして。金曜の夜に見て欲しいと言っているが金曜の夜は予想と更新で見ていられません(笑)。
私は「百万1点勝負」という非常に大した事ない夢があるのですが、この時はビデオもってドキュメントを自分で撮ろうかと思っています(笑)。もちろん予想の段階からです、何故この馬なのかというところから馬券の購入している所(出来れば窓口で買って、売り手の表情も撮りたいですねぇ)、その馬券、レースまでの心理状態、レース中はどういう顔をしているのか、結果やその他などですね。これでショック死したら笑っちゃいますけどね、いつぞやとは思ってます。そのためにはまずビデオカメラ買わないといけないのね~・・・その時はアシスタント募集したいと思います。
そうですねぇ、自分もその昔は競馬場に行きました。今は悲しいかな前日で予想してしまって当日は買うだけになってしまっています。しかも買ってすぐ帰ってきてしまうし今はPATがありますのでねぇ、オッズなんかもPCで見れる状況ですからいちいち競馬場にいく必要がなくなってきてしまった、という感じです。時代はもうコンビニ馬券ですもんねぇ。また別に競馬場へいかなくてもウインズで同じような光景はあります。学生時代はよく後楽園でたむろしてましたっけ、仲間とああでもないこうでもないと言い合ったり、しらないオジちゃんと話していたり・・・今はそういう事がめっきりなくなってしまいました。
私は昔の博打打ちの溜まり場という陰湿な感じが好きだった、というのもありますかねぇ。今年は何回か競馬場に行ってみようかと思ってます。けどGⅠの日とかは行く気はないですけどね。どなたか競馬場でデートでもしませんかねぇ(笑)
競馬場は宝石箱より 2002.2.22
体重とコンディション。
南米のチリでは、競走馬のコンディションを示す重要な要素として体重を用いている。本文はこのことについてブラッド・ホース誌に紹介された記事(1955年7月23日号)の大意である。
チリの競馬ファンは他のどこの国でも得られない手がかりを持っている。彼らはこの手がかりが重要な事を、多くの経験によって十分知っている。
チリにおける体重を示す数字は、もともと執行員のために集められていたもので、それがたまたまファンによって利用されたのである。レースに出るたびに、その前に体重を計るしきたりはサンディエゴの大競馬場の一つであるヒポドロモ・チリにおける診療所長を14年間勤めたロドルフォ・レタマーレス博士の指導のもとに正式に始められたものである。
「この出馬表をごらんなさい」と彼は馬名の下の数字を指しながら言った。「ここに最近の3回の出走の時の重量がキログラムで示されいる。その次にこのレースの行われる月日が記載してあり、次はブランクになっている。これは、このレースの馬の重量を記入するためである。馬の重量は掲示されるから、誰でもそれによってここに重量を記入することができる。もしも馬が余り重いか、また余り軽すぎたならば、人々はこの馬は多分最好調でないことを理解するのである。」
チリでは競馬場における公式の出馬表に、馬の体重が記載されている。たとえばある出馬表の馬名の下に、12 Oct 393;24 Oct 395;24 Feb 396;17 Mar・・・・と記載してある。これはこの馬の体重が10月12日には393キロ、10月24日には395キロ、2月24日には396キロあったことを示し、最後に3月17日とあってあとが空白になっているのは、これが3月17日の出馬表でこの日の体重はここに印刷することが時間的に間に合わないので、掲示されることになっているのである。
経緯は次のことを示している。即ち馬が成長を終わった後には、一定の最高重量を持つものである。これは多くの場合、その幅は8キロ以内にきまっているものだ。体重とコンディションとの間の関係は非常に明瞭になっているから、調教師はある馬の体重が最上のコンディションの時の体重とひどく違うと、その馬をレースに出す事を取りやめるくらいである。
ある馬が普通の範囲から20キロも重いか、あるいは軽かったならたとえその馬が出走を許されたとしても、ファンは体重の開きに注意して警戒すべきである。また調教師はこんな場合、その馬が芳しい走り方をしなかったら過怠金を取られる覚悟をしなくてはならない。
調教師から過怠金を取るかどうかを、裁決委員はいかにして決定するか。彼はこう言っている。
「ある馬が5回出走した。最初480キロで着外、2回目は476キロで着外、3回目470キロで着外、4回目460キロで勝ち、5回目461キロで勝った。この馬の体重は段々減っていったわけだが、4回目に勝ち、5回目に勝った時の体重の差は8キロ以内であった。裁決委員は調教師を呼び、なぜ彼の馬がベスト・コンディションでないのにレースに出したかと説明を求めるのである。もしも説明が他にも証拠があって、裁決委員を満足させるようなものだったらそれでよい。だがもしも、馬が勝つ見込みの無い事を承知して出したということを裁決委員が確認したならば、調教師は過怠金を取られるのである。」
以上の説明は各レースが比較的接近して行われた場合であって、もしもレースとレースの間が3ヶ月も4ヶ月も離れている場合には、裁決委員は普通フォームの違いを調査する必要を認めないであろう。
最適重量の8キロの幅というものが、数字的に信頼すべき事を確認するために、広範囲の研究がなされたであろうか。そうではない。レタマーレス博士の持っている唯一の証拠物件は、チリのスタッドブックの主任であるA・オボレンスキー氏の書いた論文の切り抜きである。この論文は体重の組織だった記録が一つの競馬場、ヒポドロモ・チリで行われて約4ヶ月たった1948年3月23日、エル・メルキュリオ紙に掲載になったものである。この方法が他の大競馬場で広まったのはこれから後であった。(馬の体重を計ることが正式に要求されている、この唯一の国はベネズエラである。だがここでは記録は執務員用のものであって一般には公表されない)
オボレンスキー氏は「馬の能力は、その健康状態やコンディションに関係があるばかりではなく、競走、負担重量、距離、騎手、調教師及びレース自身の偶発性に関係がある。だが、私の言いたい事はコンディションの良い事が体重によって示されている馬が常に勝つというのではない。だがそのような馬が非常に良く走るということは確かである。同時にまた基準の重量とうんと違った体重の馬が余り走らないことも確かである。勿論例外はあるが、馬の体重の知識は十分に理解され説明されれば、馬主は調教師が自分の馬を無駄に走らせなくても済むし、ファンは勝ち目の全然ないような馬の馬券を買わないで済むということを、我々は確信している。」
チリの正式なレーシング・カレンダーには馬の体重は記載されていない。だからこれらの結論の妥当性をたしかめることは困難である。だが、実験的な証明といったものは、この方法が約8年間も続けられてきたこと、ファンが重量の開きを注意して計算すること、調教師は他の面倒くさいことの代わりに体重を計ることが役に立つことを認めた等の事実にある。
さらにこれをいくらかでも確証するような材料が、マンセル・ブサックのフランスの厩舎から得られた。この厩舎では数年前、体重が異常に変動するのはコンディションが良くない事を示し、非常にに良いコンディションにある馬は競走に出てもあまり体重が減少しないことを発見したのである。
たとえば、ファリスは1939年のグラン・プリ・ド・パリで優秀な成績を示した後の体重は、レース前の体重よりもわずか4ポンド少なかったにすぎないことが報告されている。
チリでは競走馬については体重を計るばかりではなく、脈拍、体温、発汗、粘膜の状態等がレースの1時間半前に検査される。そしてレースの終了直後に2 着、3着または4着までの馬は再び体重が計られ、再検査されるほかに尿検査が行われる。レタマーレス博士の語るところによると、出走馬の体重は普通レース後には3キロから4キロ減るという。
アメリカでは馬の体重とそのコンディションとの関係については何らの注意も払われていない。大抵の調教師は、その管理馬の体重を尋ねられれば、ただ推量で答えることが出来るに過ぎない。彼らはコンディションを知るのに他の手がかりを好んでいる。
だが体重の変化が人間の運動家(いや運動家ばかりではない)のコンディションを診断するのに重要であることは、一般に認められていることである。
かつぶー>今では当たり前のようになっている馬体重。上記は「優駿」の昭和30年10月号に掲載された記事で、これがもとになって中央競馬会でも馬の体重を発表するようになったという事だそうだ。
まぁ確かに人間でもランナーとかなら理想体重というのがあるのだろうと思います。馬の場合、10キロの増減になるとちょっと敏感になる人もいるんじゃないですかね。500キロの馬の10キロとは2%、60キロの人間にすれば1.2キロと単純に計算すればどんなもんだか分かりますかね。人間の1~1.5キロというのはどうなんですかねぇ、私はそういう走る競技の選手ではないのでわからないのですが、ちょっとは影響するのでしょうか。ただ同じ10キロでも 500キロの馬と420キロくらいの馬とでは影響の大きさが違うのではないか、という見方は出来ますね。今は新聞紙によっては走った時の体重が載っています。それを見て8キロ以内なら、という事で調べてみるのもいいかもしれません。ただあくまでも成長し終わった馬という事がポイントですけどね(笑)
続・趣味の競馬学より 2002.2.7
厩務員を胃潰瘍にした破格のエリート。
「どうしても欲しいんです。お願いします」
伊藤修司調教師が日隈オーナーに、いつになく真面目にそう告げたのはセリ会場へ入ってからのことだった。日隈オーナーにしてみれば、見学するだけのつもりで立ち寄ったセリ市だった。といってもそのセリ市での目玉、血統名カムイオーが出場するのは知っていた。そしてすぐ上のハギノトップレディが新馬を圧勝しており、姉のオーナーとして自分が買い手の有力候補に挙げられているのも分かっていた。
が、なにしろ半端な値段はつきそうもない。とてもじゃないが無理だと感じていた。そこへ伊藤修司師の申し出である。ただならぬ決意が感じられる。さて、どうするか。
「うむ、任せる」彼はそう言った。自分は伊藤修司という男を信頼して馬を預けてきたと思う。ならばこういう時だけノーと言うわけにはいかない。
お台は8,000万円。場内が騒然とする。ここですでに、それまでの最高価格は破られてしまったのである。さらにその後場内の人々は信じられないものを聞くことになる。伊藤師が「1億円」と声をかけた。「1億1,000万円」さらに声をかける相手がいた。伊藤師は続いて手に持ったボールペンを立てた。 1,000万円オンの合図だ。その後も師がボールペンを立てるごとに価格は上がっていった。
10数分後、のちの「ハギノカムイオー」の落札価格は1億8,500万円と決まる。「黄金の馬」の誕生である。
入厩後、厩舎スタッフの対応は大変だった。なにせ普通の値段の馬ではない。走らなかったら・・・伊藤師も担当になった山吉厩務員も、不安と焦りに絶えずつきまとわれていた。何かあるたびに厩舎に泊り込んだ。厩務員ストがある日、夜中の2時、誰も見ていないのを見計らって厩舎のまわりを引き運動したこともあった。退厩までの2年間で彼は胃潰瘍を患ったという。
デビュー。いきなり新馬-特別-スプリングSと3連勝し、黄金の馬はスターダムにのし上がる。しかしこの3戦はいずれも逃げきり。類まれなスピードを持ちながら、その気性の激しさもあり、押さえるレースは出来ないでいた。そして皐月賞ではそんな彼に天敵が現れる。ゲイルスポート。
驚異的なダッシュ力を持つこの馬の参戦によって、ハギノカムイオーはペースを乱され、大敗の憂き目に合う。続くNHK杯も皐月賞と同じレースをして惨敗すると、ハギノカムイオーはダービーを断念し、秋の休養に入る。4歳秋も同じような経緯をたどった。神戸新聞杯を逃げ切り、京都新聞杯は初めての2番手を進んで快勝するが、菊花賞は大敗する。本番に弱い馬、いつしかハギノカムイオーにはそんなレッテルを貼られようとしていた。
ところが、である。4歳春は違った。前哨戦のスワンSを逃げて楽勝し、本番・宝塚記念も逃げて2着に5馬身差をつけて圧勝。ついに大きなタイトルをもぎ取ったのである。返す刀で高松宮杯を逃げ切り。これは母、姉に続く勝利で華麗なる一族の面目躍如であった。
かつぶー>まぁ史上最高値の馬だし、調教師じかにお願いした馬ということもあってなんとかしなければ、というのもあったと思いますけどこの馬だけというのはある意味えこひいきじゃないのかなぁ、と思いますね。同じ委託料払っているんだからどの馬も同じように対応しないといけないんじゃないか、と自分は思ってしまいますねぇ。まぁこの馬はGⅠ勝ったからいいものの、その後バブルで3億6千万ですか、のサンゼウスはたった2380万円しか稼がないで終わってしまいましたねぇ。父トウショウボーイ、母リキサンサン・・・今考えるととてもじゃないけど3億出る血統じゃないですよねぇ。そこそこ見所ある馬でしたが結局は1勝で終わってしまいました。こっちの方がかなり堪えたんじゃないかなぁと思いますね。
しかし1億とか3億って人間より高いんじゃないですか。自分なんか1億で買ってくれといっても誰も買ってくれないでしょうなぁ・・・
大人のための「読む」競馬より 2002.1.31
ジョッキーで馬券を買う。
日本の競馬ファンと欧米、ことにヨーロッパの競馬ファンの一番の違っているところは、何を基準にして馬券を買っているか、ということである。
まず日本のファンの馬券の買い方の基本にあるのは馬・・・つまり出走馬の個々のデータである。大抵の競馬ファンの楽しみは競馬のある前の晩、予想紙の出馬表と睨めっこしてマーカーや赤のサインペンなどで桝目を次第に赤々と塗り潰していく事にある。
性懲りも無く、明日は何だか勝てそうなという予感が働くのも、この「勝ち馬検討」の時間である。しかし時間をかけて検討し、紙面が真っ赤になっていけばいくほど、不思議にファンの予想は印の多い馬のほうに偏って、つまり予想紙の印にきわめて近いものになっていく。
ファンが予想の基準にしているものと、専門紙が予想の基準にしているデータが近ければ近いほど両者の観点は一致していくわけで、結局明日のレースはおおむぬ新聞の印に近い所で、つまり結構堅いんじゃないか、という結論に達する。が、どういう訳だか明日になるとおカミの堅い法の目を掻い潜って、マーカーペンのお世話にならなかった馬が好走してしまうのである。
これは多分ファンが年甲斐も無くマーカーでお絵かきをやればやるほど、いくつもの条件に恵まれた馬を必然的に選択してしまうのとは対照的に、選ばれる馬の方はたった一つの条件・・・それもゲートが開いてみないとよく分からない条件・・・によって好走してしまうからだろう。
例えば逃げるはずでなかった馬が逃げてしまって、予想以上のハイペースになってしまった。そして後方一気タイプの、平均ペースの流れだとせいぜい掲示板が精一杯といったタイプの追い込み馬が2着に突っ込んできてしまった。それはないんじゃないの、といったパターンである。
それにしても日本の競馬専門紙の、あの独特の縦目の桝を中心にしたデータくらい良く出来たものはないと、私はいつも感心している。いつごろ、誰が発明したのかは知らないが、あの几帳面きまわりないキメの細かさは、いかにも几帳面な日本人ならではのものである。なにしろあのせいぜい縦2センチ、横1センチくらいの小さな桝目のなかに、出走日、出走レース、着順、格付け、ゲート、出走頭数、タイム、重量、ジョッキー、展開、レース・ポジション、馬体重、人気、レースの短評、勝ち馬との着差、上がりタイム、勝ち馬ないし2着馬の名前、その馬のタイムなどといったものがぎっしり詰め込まれているのだから、これはもう絶対にノーベル賞もののアイデアだ。
私の知っている範囲では、香港人というのも日本人の輪をかけたような競馬狂で、新聞の発行スピードやレース情報の処理の細かさでは日本の上を行っているくらいだが、出馬表の完璧さでは日本の専門紙には及ばない。やはり中国人の雑駁さと日本人の繊細な心配りの差が出るからだろう。
したがってジャパンカップにやってきた外国人ジャーナリストや、厩舎関係者が一番驚くのがこの競馬新聞なのである。あの小さな長方形の桝目のなかに、一体どれほどの情報量が詰め込まれているかを教えてやると、彼等は信じられないといった面持ちで溜息をつく。彼等の国では到底考えられない新聞の作り方だからだ。イギリスやフランスにも、いわゆるタブロイド版の競馬専門紙はあることはるが、発売部数も少ないし情報量も限られている。紙面の中心は有力馬に騎乗するジョッキーがこんな事を言っている、調教師はこういっている、といった読みものの記事から成り立っていて、出馬表そのものの構成は、スポーティング・ライフとかパリ・チュルフとかいった日刊形式の競馬を中心にした新聞と大差ない。
したがってニューマーケットの競馬場なんかで見渡してみても、そういった競馬専門紙を持っているファンは少なくて、大抵のファンが競馬場の入口で売っている一部1ポンドのレーシング・プログラムかスポーティング・ライフかレーシング・ポストといった競馬日刊紙の出馬表を眺めながら馬券を買っている。彼らは大抵の場合出走馬の能力をつぶさに検討したりする代わりに、ジョッキーの腕を頼りに馬券を買うことが多いのである。大雑把な出走馬の能力分析は、それぞれの競馬記者たちに任せておいて、ファンである彼らはもっぱらどのジョッキーがもっともアテにできそうかを推理しているのである。
イギリスやフランスの競馬は、大抵午後の1時半ごろから始まって、ほぼ30分刻みで1日7レースないし8レースを行うというのが標準のスタイルなのだが、その出走表を丹念に眺めてみると、ここにもかなり日本とは違った特徴があることに気づく。つまり7レースのうちの6レースくらいは、ごく限られた 6~7人のトップクラスのジョッキーたちが独占的に有力馬に騎乗している、という事実である。まだ実績のない若手ジョッキーに騎乗のチャンスがあるのは、わずかに残された1レース、50キロとか52キロとかいった軽いハンデで乗れるハンデキャップレースだけなのである。勝ち負けになりそうな有力馬が概ねデットーリ、エデリー、カーソン、スウィンバーン、ロバーツ、ロシュ、リード、コクレーンといったリーディングジョッキーたちによって独占されてしまうとなると、当然のことながらファンの馬券作戦も変わってくる。いちいち出走馬の能力分析なんかをしなくても、「誰が乗ってきたか」によっておおよその勝負気配はつかめてしまうのである。
ここ数年というもの、ニューマーケットのリーディングジョッキーはパット・エデリーであった。だから言うまでも無くここでの最も人気のあるジョッキーもパット・エデリーで、彼の周りにはいつもファンの信頼に満ちた、温かい視線が集中している。しかしそのエデリーが断然人気の本命に騎乗して消えてしまったらどうなるだろうか?
もの凄いファンのブーイングの集中砲火なのである。日本でなら岡部や武豊が本命に乗ってこけてしまっても、あからさまなブーイングは起きない。岡部や武豊は名手なのだから、負けたのは馬のほうになんらかの理由があったのだろう、という納得の仕方が上品なファンの取るべき道で、ブーイングなんぞを鳴らすのは馬券狂いの下品なファンのやることだといったような物分りの良さがあるのだ。ところがヨーロッパではそうではない。ジョッキーは1レース毎に責任を負うべき存在なのだから、たとえニューマーケットのチャンピオンといえども、無様なレースをしようもんならブーイングの集中砲火を覚悟しなければならないのである。
「あれには参るよ」とパット・エデリーは胸中を告白する。「しかし、より高い賞賛を受けるには、つねに批判は覚悟しておかなければならない。それにジョッキーなんて、あのブーイングのおかげで巧くなるようなものなんだ。まともな神経をしていたら、二度とああいう目には遭いたくないと思うものだからね」
かつぶー>去年は外国人騎手の活躍が目立った年だといえるかもしれませんが、来ているのは海外の一流騎手ですから当然といえば当然といえますよねぇ。私も以前は馬の能力が殆どで予想を立てていたのですが、いや騎手も考えないといけないなぁと思うようになりましたね。
ブーイングについては、国民性の違いもあると思いますけど、競馬もサッカーや野球と同じ様に金払って見に行っている訳ですし、またさらに金を賭けている訳ですからヘボな騎乗されたら怒るのは当然と言えますね。勿論こういうHPでもバンバン言っていいと思います。ただそのためには結果だけの文句ではなく、見ているこっちも目を肥やさないといけないと思いますね。
知性派の馬券学より 2002.1.23
調整ルームの役割は?
競馬場の敷地は広く、ファンの目が届かない場所にも様々な施設がある。例えば中山競馬場ならばスタンドの裏側、道路を隔てた反対側に厩舎エリアがある。その厩舎エリアの入口を入ると、すぐの所に3階建ての建物が見える。これが調整ルームと呼ばれる騎手の宿舎だ。ご存知の方も多いと思うが、レースで騎乗する騎手は前日に調整ルームへの入室が義務付けられている。騎手の調整ルーム内での生活を紹介すると共に、この存在意義についても考えてみたい。
調整ルームは各競馬場と美浦・栗東の両トレセンにある。そして翌日に騎乗予定のある騎手は、騎乗する競馬場またはトレセンの調整ルームに入る。金曜日は多くの騎手がトレセン内の調整ルームに入るが、土曜日はそのまま競馬場に残る騎手も多い。トレセンに戻っても自宅には帰れないからだ。その調整ルームの入室時間は出馬投票締め切りの1時間後、つまりレース前日の正午である。そして入室後は厩舎作業のための外出を除いては建物から出ることは許されない。さらに電話も厩舎関係者からのもの以外は取り次いでもらえない。つまり外部とは全く隔離された場所に入れられてしまう訳だ。また土曜日と日曜日に異なった競馬場でレースに騎乗する場合は、土曜日のレース騎乗後に移動することになっている。尚、調整ルームへの入室が義務付けられるようになったのは昭和41年の9 月、それ以前は騎乗するレースの前検量までに集合すればよかった。
調整ルームの内部はどのようになっているのだろうか。中山競馬場の調整ルームでは、2階と3階がそれぞれ各騎手の個室になっている。部屋数は全部で 30、洋室が8室で残りは和室だ。部屋の広さは四畳半、洋室ならばそこにベッドが入るので決して広いとはいえない。そして部屋にはテレビと小さいテーブル、スタンドと目覚まし時計がある位だから殺風景な印象を受ける。どこかのビジネスホテルの一室を見ているようだ。それでも1993年に新築された中京競馬場の調整ルームはなかなか豪華な造りになっているらしい。部屋の広さも6畳になり、各部屋にはそれぞれユニットバスが用意されているそうだ。
さて1階には食堂と娯楽室がある。食堂の隅には大型テレビがあり、若手の騎手はよくここに集まってビデオを見ているようだ。そして娯楽室には全自動の麻雀卓が2卓用意されているが、ここに座る面々は大体いつも同じとか。また規模の大きいトレセン内の調整ルームには、ビリヤード台も用意されている。
それでは騎手は調整ルームの中で何をして過ごしているのだろうか。何人かの騎手に聞いてみたが、多かったのが「寝ている」という答えであった。「そんなに早い時間から寝ているのか」と思われるかもしれないが、騎手の朝は早い。すぐに麻雀を始める元気な騎手もいるがこれは少数派、眠らないまでも部屋で横になって読書するなどして休養の時間に充てている騎手が多い。尚トレセン内の調整ルームにはマッサージを受けられる部屋もあり、金曜日と土曜日の午後はプロのマッサージ師が待機している。
調整ルームの夜は早い。特に消灯時間は決められていないが、夜の10時には麻雀組も含めて床に就くのが習慣になっているようだ。「一杯飲んで早めに寝る」というのが多くの騎手のパターンらしい。因みに飲酒は全く自由、前週に重賞を勝った騎手がビールを差し入れることも多いようだ。しかしその調整ルームの中で唯一、24時間営業(?)の場所がある。それは風呂、ここは「一杯飲んで」どころではない騎手が集まる。減量に苦しむ騎手の大きな味方、サウナがあるからだ。会社の独身寮のような何の変哲も無い建物の中で、ここだけは「特殊な人達が集まっている」と感じさせられる場所だ。美浦トレセンの調整ルームにあるサウナの内部を紹介してみよう。
脱衣室と浴室は普通の風呂と同じだ。目盛に細かい精巧そうな体重計が目を引く程度である。しかし脱衣室には浴室へ通じる扉以外に2つの扉がある。1つめの扉を開けるとそこは広さ12畳の休養室、といっても中はサウナになっている。街のサウナは短時間で大量の汗を出すために高温で乾燥しているが、調整ルームのサウナは湿式と呼ばれるもので室温は摂氏42度に設定されている。高温サウナは身体への負担も大きいので長時間入ることはできないが、湿式のサウナならば時間をかけてゆっくりと体重を落とす事が出来るようだ。それでも一回の限度は30分位だが騎手によっては繰り返す事数回、合計すると3時間も入っている事もあるらしい。さて別の扉の向こうは汗取り室、ここは約20畳の広さがある。室温は休養室と同じだが、汗取り室の内部には個室の汗取りブースが5つ用意されている。この中の温度は摂氏50度、しかし足を乗せる板の下に熱いパイプが通っており、パイプに水をかければ高温のスチームが発生する仕組みになっている。この汗取りブースの効果も大きいが、同様に身体への負担も大きい。汗取りブースの中で体調を崩してしまった騎手もいたようだ。さらに汗取り室の中には浴槽が2つあり、そのうちの1つは水風呂になっている。尚調整ルームのサウナは金・土曜日以外にも開放されている。減量のために熱気浴を日課にしている騎手も多い。
ある騎手に調整ルームについて話してもらった。「調整ルームに入ることについては2つの意味があると思います。1つは公正の確保という理由で外部から隔離されるという点ですが、確かに『ここまで徹底する必要はないのでは』と思う気持ちはあります。でも調整ルームに入る理由はそれだけではありません。『レースの前日から心身の調整をする』という別の目的があります。これを言うと『それは建前だろう』と思う人も多いようですが、そんなことはありません。独身寮に入っている頃は好きな時に好きな事をしていましたが、結婚して家庭を持つと自宅では思うように過ごせません。学校に通う子供とは時間のサイクルが違いますし、土曜日は子供も夜更かしするでしょう。こちらはレースの前日には身体をゆっくり休ませたいし、レースの事を考えるには静かな場所で一人になりたいものです。ですから調整ルームで日頃の睡眠不足を解消する騎手は多いですよ。それから調整ルームは騎手同士の交流の場でもあります。若い頃には先輩の騎手から色々なことを教えてもらいました。実はローカルの開催中は調整ルームが騎手の宿舎になります。騎手同士で生活してますから、特に新人騎手は勉強になるでしょう。よく『新人は最初の夏に大きく成長する』と言いますが、吸収できるものが多いからではないでしょうか。
最後にこれは大きな声では言えませんが、調整ルームに入っている間は外からの誘いを受けられません。大レースの時に馬主さんが遠方から出てきた時などは、誘われれば立場上なかなか断る事はできないでしょう。付き合いが嫌いということではありませんが、レース前の減量中の身では宴席に呼ばれても楽しむことはできませんから。そういう時に『レース前日は調整ルームなんです』と言えば、先方も納得せざるを得ません。調整ルームの役割は決してひとつだけではありませんよ。」
外国の競馬場で調整ルームがあるのは、日本の競馬を参考にしている韓国ぐらいなものだろう。海外との比較になると決まって「管理競馬の象徴」として語られる調整ルームの存在だが、騎手自身のためにもなっているという事実は見逃されている事が多い。
かつぶー>安藤騎手の件の事もあり、ちょっと調整ルームについて載せてみました。しかしこの調整ルームは騎手は使用料とか払っているんですかね?もしタダだったらこんなにいいものはないですよねぇ。私が思うに至れり尽せりですよ。私だったらずっといてもいいなぁ、と思っちゃいますね。まぁ隔離されちゃうので所帯とかもってしまうとそういう訳にはいかないでしょうけど。もしタダだったら羨ましいの一言に尽きますわ。
勿論調整ルームには医療設備もありますよね?ないのかな?
競馬場は宝石箱より 2002.1.9
「質」の遺伝力を最高潮にする1本のライン。
月のサイクルのミニマムの7日が、太陽の大きなサイクルとどのような接点を持っているか、それを結びつけるためにカレンダーを睨みながら考える日々を続け、ある日ありとあらゆるサラブレッドの受胎日を種付け日から求め、あるいは出産予定日から逆算し、カレンダーに書き込んでいった。その中からオープン馬の受胎日だけを残すと1・8・15・22・29と縦に並ぶラインが浮かび上がった。(下の図を参照)
つまり太陽暦の1ヶ月をアベレージ30日と考える。すると月のサイクルである29.5日との間に差が半日分生まれる。従ってこの半日を修正するだけでよかたのである。そしてx日は、馬の場合にはすべてが15日である。xを15とすれば、x+7は22、x+14は29、x-14は1、x-7は8、その誤差は+2日、-1日である。
このライン上で繁殖牝馬の発情、すなわち「質」の遺伝力は最高潮になる。その発情が4月であろうと5月であろうと、必ずこのライン上で世代交代されて名馬は生産される。それ以外の発情はすべて偽物である。つまり太陽暦における日付が重要なのである。太陽の周りを回る地球の、さらにその周りを回る月との位置、1年のどのあたりにその日付があるのかで微妙に変わってくるのかもしれない。何故か、といわれても私には答えようがない。おそらく何らかの意味で15 という数字が太陽のサイクルと月のサイクルの神秘的な接触店なのだろうと推測するが、それ以上の事はわからない。
そして世代交代とは4本の糸を繋ぎ合わせたもので、その繋ぎ目が月のサイクルに乗っているときに優秀な競走馬のスピードが生まれてくる。4世代の交代がこのライン上に乗っていることが最良である。
名馬を生産できるのは世代交代の際に3つの優性卵を連続して受けている繁殖牝馬に限られており、そういった繁殖牝馬は次の世代に自分の排卵する優性卵を一つ加えることによって4連続とすることができる。母も祖母も未勝利馬であるにも関わらず、その仔が天皇賞馬であったりダービー馬であったりするのはよくある話である。これはその牝馬が3世代に渡っては優性卵を受け継いでいるが、競走馬としては十分な4世代を受け継いでいないためだ。
■月のサイクル(Sistema della Luna)

○繁殖牝馬が持つ良好なサイクルは、このテーブル上に乗る。
○Xは15日であり、X-7は8、X-14は1、X+7は22、X+14は29である。4世代の世代交代がすべてこの日付けの上に乗っている場合に名馬が生まれる。
○サイクル上に乗せるべきなのは種付け日だけで、月には関係がない。3月であれ、4月であれ、5月であれこの日付けが重要である。
○馬の種付け日は記録に残っていないので、それは出産予定日から逆算することになる。種付け日と出産予定日のずれは1ヶ月なので、種付けした日付けをこのテーブルにそのまま当てはめればよい。ただし、馬の在胎期間に長短ふがあるので、生年月日から種付け日を正確に逆算することはできない。
4世代の優性卵の連続を単純なことのように思うかもしれないが、実際にはこうした繁殖牝馬をつくるのはそうたやすいことではない。現在日本には1万 8000頭の繁殖牝馬がいるが、その中で3世代以上に渡る優性卵を受け継いでいる繁殖牝馬は、私の計算では1400頭少々にすぎない。というのも世代交代の間に一つの劣性卵が挟み込まれてしまえば、それはまた1からの出直しだからである。そこから4世代後でなければ名馬は生まれてこない。だが逆にこの法則を熟知すればまったくの凡牝系からでも名馬は生産できる。
かつぶー>さてこれを見て皆さんはどう思いますでしょうか。この本ではミホノブルボンの事を例にあげて説明しています。ミホノブルボンの場合は4世代に渡って上の表にあてはまる日に種付けされたものであったそうだ。これを一口馬主なんかで使えないかと思うんですけど、その牝馬の4世代の種付け日とか出産予定日が載っているのか難しいところです。このような牝系に関する事典もあるのか分かりませんしねぇ、どこかで手に入れる事はできないのでしょうか。ファミリーテーブルにはそのような事が記載されているのでしょうか・・・
「質」というのは運動神経、反射神経、俊敏性など競走馬の生命ともいえるスピード面を握っている要素で、これがもっとも重要で、良質な「質」が遺伝されれば名馬になる可能性が高いという事です。それでこの「質」というのはボトムラインだけが伝えるものだそうです。
秘密の日本競馬「血とコンプレックス」より 2001.12.28
牝馬の走力を左右する周期的リズム。(その2)
月は地球の衛星である。月は年間を平均すれば29.5日単位で地球の周りを1周する。その中で1週間というのは月のサイクルの最小単位である。地球上のどこでも月は頭上に輝いて、毎日毎日とその姿を変えていく。その目だった変化は、新月、上弦、満月、下弦という順序でほぼ7日ごとにおこる。動物の排卵は月のサイクルに従い、7の公倍数になっていることが殆どだ。人間の排卵は4週間、約28日周期で、馬の場合は3週間の約21日である。卵生動物の卵がふ化に要する時間もその殆どが週単位である。この7日間に日月と木火土金水という5星を当てはめた7曜暦の起源は紀元前2世紀頃に始まったといわれる。
文明が誕生して以来我々の単位は7日である。これは7日という単位が人間も含めた生命体にとっていかに本質的であるかということの証左である。週単位というのはあらゆる地球上の生物のリズムの基本単位であり、またこれは月のサイクルが特に牝からの遺伝に重要な意味をもっているということの間接的な理由になりうると思う。
この地球上のあらゆる牝は月の影響を大きく受けている。牝の子宮は重力、または光によって伝えられる月のサイクルを感じ、生まれ落ちた時に一定数が用意されていいる卵母細胞の中から特定の1つをピックアップし、受胎可能な状態までに育てる。それが排卵である。だから月のサイクルが発情のサイクルなのだ。その発情が月のサイクルのどこに当っているかを知れば、その発情が「本物」であるかどうか、さらにその卵子の「質」が優性であるかどうかまで数学的に見極められることになる。サラブレッドの華麗なスピードは月のサイクルの恵みなのだ。
繁殖牝馬はその年齢、生まれた月日により種付けされる期間が一意的に定まり、その期間の中にたった一度だけ優性卵の排卵がされる。そのことに気づいているのはごく一部分の優秀な馬産家だけだろう。
まず種付けすべき期間とは何か、それは何時訪れるのか、というい事を考えよう。
元来繁殖牝馬には繁殖シーズンの最中であるにもかかわらず、発情すら示さない期間というものがある。馬の発情と一般的に言われている繁殖シーズンとは何も関係がない。春を繁殖シーズンだと勝手に決め付けているのは人間の都合で、馬には1年中すべてが繁殖シーズンである。というのも受胎すれば牝馬の血液は中性になり、走力を回復する。つまり自分の身が危険に晒されなくてすむからだ。だから繁殖シーズンを離れて生まれた名馬はざらにいる。たとえば天皇賞馬のアサホコである。昭和34年の8月8日にヒカルメイジを種付けされ、生まれた仔馬だった。この季節はずれの種付けの理由を、「あまりにもいい発情だったので種付けした」と後に盛田牧場の場長は語っている。このいかにも経験を積んだ場長の素晴らしい判断が天皇賞馬を作ったのである。もちろん冬に生まれる名馬もいる。たとえばテスコボーイ、ゲイタイム、ゲインズボローなどは1月生まれである。
考える、という武器を持つ人間に天敵はいない。人間の女性が男性より少しばかり体力やスピードが劣っても生命が危機に晒されることはない。だから人間の女性達はいつでも性の楽しみを享受できるような仕組みを神様が与えた。けれども馬は常に発情しているわけにもいかない。天敵から逃げ続けることが種族を保存する唯一の手段である馬にとって、常に発情状態であることは必然的に自らを滅ぼす事になる選択である。血液のphが中性の期間、牝馬は牡と何ら変わりないスピードで走ることが出来る。逆に血液のphが酸性となる発情期間には、牝馬の走力は衰える。だからその期間が必然的に限られることになるのだ。
秘密の日本競馬「血とコンプレックス」より 2001.12.27
牝馬の走力を左右する周期的リズム。
牡馬と牝馬がそれぞれの集団での中で果たす役割というものを確認すると、まず牡馬はその力を示す事によってハーレムの主となるべき存在である。ある1頭の馬が勝ち残るということは、その血が一族を支配するということを意味する。従ってある1頭の牡の勝ち負けは全体的な問題である。
ところが牝馬はハーレムの一員にすぎない。牡馬は全体であり、牝馬は個であると考えてもいい。
ボスの種を受胎して仔を産む大役があり、集団内の序列こそが問題となる。もちろん全体的な流れの中で過剰になり過ぎた血を受け継いだ牝馬の活力は相対的に低下するが、一般的には全体的な血の流れの影響を牡馬ほどは受けない。言い換えれば如何なる父系の牝馬でもレースで勝者になりうるのである。
たとえばノーザンダンサー系でも、その父系の産駒が圧倒的に多いという単なる数字上の理由で、牝馬であれば勝つことがある。けだし確率である。
レースにおいて牝馬を支配するのはむしろ、仔を産むという役割分担から生じる個の中の時間的なリズムである。はっきりいえば生理周期のリズムである。
このような疑問をもったことのある人はいないだろうか?つまり春のクラシックシーズンの牝馬は繁殖期にもかかわらず、どうして能力を十分に出せるのかと。ところが牝馬にはまったく発情を示さない2ヶ月間というものがあるのである。逆にコンディション的に明らかに競走に適さない期間もある。春シーズンに限らず年間を通じて牝馬の状態はこの二つにはっきりと分かれる。
牝馬の役割は仔を産む事である。それなのになぜ発情を示さない中性の2ヶ月間を間に挟むのかといえば、そうしなければ天敵から逃げ延びてくることができなかったからであろう。
一般にフケ(発情)とは、春秋の繁殖シーズンにおけるはっきりとそれと分かる発情を指す。フケた牝馬は女性器が赤く腫れ、内部から透明で粘稠な液体をたらす。素振りも落ち着かず、普段おとなしい馬が些細なことで暴れたりする。だがそれとは別に、潜在的なフケ状態というのもある。このとき牝馬の状態は外見的には通常と変わらない(馬には月経はない)けれども、実は排卵があり血液のphは酸性になる。
この期間を仮に女性期間と呼ぶ事にする。この時期牝馬の走力は明らかに劣り、到底レースの勝ち負けには加われない。最後の粘りを欠くことになる。逆にそうでない期間は血液のphが中性で、この時期は牝馬でも牡馬と同様に走れる。女性期間は年間を通じて存在し、従って牝馬の馬券を買う際には常にその牝馬がどのような状態にあるかを把握しておかなければならない。
牝馬の女性期間(+)の長さは2ヶ月であり、中性期間(-)も2ヶ月続く。それらは周期的に繰り返され、++--++--++--・・・・というように続いていく。シーズンオフの冬季には中性期間であれ女性期間であれ4ヶ月続く。例えば2月14日に生まれた馬の場合であれば、
| \月 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 |
| 満年齢奇数の年 | + | + | - | - | + | + | - | - | + | + | - | - |
| 満年齢偶数の年 | - | - | + | + | - | - | + | + | - | - | + | + |
のように中性期間と女性期間はサイクルする。これはどういうことか。
まず第一に馬柱を見て2ヶ月以上絶好調のレースを続けた牝馬の次のレースは、必然的に馬券の対象から外さなければならないということである。逆に2ヶ月間凡走を続けた人気薄の牝馬が突然変身し、大穴をあけることがあるということでもある。
これが競馬だといえばそれまでだが、このパターンが穴レースの大半を占めることを知らなければならない。次に昨年の同じレースで好走した馬はいくら人気でも好走は望めないということも分かる。
牝馬の調子は不安定だ、牝馬の好調は長く続かない、とはよく指摘される一般的認識であるが、それはこの牝馬特有の生理的な波に由来していることを知る人は少ない。
「追いきりはよかったのに、何で動かなかったか原因がわからない」というコメントは非常に良く聞く。それが牝馬に対するコメントである場合、体調の変化をまず疑ってみることが肝要である。
かつぶー>牝馬は難しい、とよく聞く事はこういうことも関係しているというのもあると思いますね。ただそれが全部が全部かというとそうでもないところもあって、相手関係もありますしね。またこれは計算すればよりはっきりわかると書いてあります。その牝馬が母馬の受胎した年月日から算出していくのですが、これを1頭1頭やっていくわけにもいきませんからねぇ・・・まぁ出馬表でわかるのは2ヶ月以上好調だった思える牝馬の場合は、注意して軸には据えないようにするとか、牝馬が連覇する可能性は薄いと考える事くらいではないですかね。しかし今年はスティンガーが京王杯を連覇しましたねぇ、これはどう考えたらいいのでしょうか?この馬は牝馬じゃないと、そういう見方でいきましょうか(笑)
秘密の日本競馬「血とコンプレックス」より 2001.12.13
耳はどのくらいいいか。
はっきりいって我々よりはいい。馬が備えている高感度の耳は極めて低い周波数から極めて高い周波数まで広い範囲の音を聞き取れる他、そのうちのどの周波数帯の音でも人間よりも正確に聞き取ることができる。
人間の大人は最高2万ヘルツくらいの音まで聞こえる。しかし60歳代になるころには、それが1万2千ヘルツくらいまで低下してしまう。馬は2万5千ヘルツの音まで聞こえることが実験的に確かめられている。これは人間の能力を上回っている。
馬の聴覚の鋭さは大きいうえに驚くほどよく動く耳のお陰で、人間のそれをはるかに上回っている。16以上はある筋肉によって馬の耳はほぼ180度回転し、はるか遠くの特定の音源に対してピタリと標準を合わせることができる。馬を飼っている人ならば遠くから次第に近づいてくる物音に、自分では気づかないうちから馬は気づいて反応したという経験があるはずである。
遠くの嵐や強風、地震などの天然現象に対して馬はとても敏感であり、飼い主のなかには自分の馬は第6感を備えていると言い張る人もいるほどである。しかしそれを確かめるためには、全く耳の聞こえない馬の反応を調べてみる必要がある。そのような「不可思議」な馬の反応は、人間の耳にはまだ遠すぎて聞こえないほど微かな音に反応しているに過ぎない可能性があるからである。地震でさえそのように感知している可能性がある。地震の際は人間感じ取れる揺れが伝わる前に、馬の可聴範囲ギリギリの低周波振動が伝わってくるからである。地震多発地帯に住んでいる人々の間では、地震が起こる直前に馬が大騒ぎして大声でいななく場合が多いことが経験的にしられており、鈍感な人間にとっては格好の早期警戒システム代わりにされている。
しかしこう書いたからといって、馬には第6感はないといているわけではない。あくまでも人間には説明できない馬の反応を目撃したからといって、それを第 6感が働いているせいだと即断するのは早計だと言っているのである。聴覚、視覚、臭覚、味覚、触覚という5感あお完全に除去することができるとすれば、他の多くの動物と同じように馬も地球磁場の変化といった手がかりを利用できることが確認できるかもしれない。現在では、鳥は帰巣するにあたって地球の磁場を利用することがわかっている。人間も磁石の力は借りるが磁場を進路決定に利用する。それを考えると他の手がかりを使えない場合には馬だって地球磁場を利用しないとは言い切れない。午後の遠乗りで騎手を振り落として暴走した馬が、まったく見知らぬ土地であっても夜遅くには帰厩して飼い主を驚かすということがよくある。そのような事例でも、ぴくぴくとよく動く敏感な耳がはるか遠くの耳慣れた物音を聞きつけるお陰だとも、厩舎まわりの「磁場マップ」に対する特殊な感受性を備えているお陰だとも説明できる。伝書鳩を使った研究はある程度なされてきたが、この問題を馬を使って厳密に調べようとした研究はいまだにない。そのような研究がなされれば素晴らしい成果があげられるかもしれない。しかしいずれの感覚が関与しているにせよ、馬は自分がくらしている環境対して感覚を驚くほど見事に同調させていることは確かである。
騒音の激しい環境のせいで馬が苦痛を味わう事があるのは、そのように感覚が鋭いせいである。空港や往来の激しい自動車道路近くで馬を飼っている人達の報告によれば、そのような環境では馬はしばしば極めて神経質になるという。人間にとっても不快な騒音は馬達にとっては絶え難いものであるに違いない。耳を伏せる事で物音をある程度遮断することはできるが、それでもまだ不十分である。できるならばそのような場所で馬を飼う事は避けたいものである。
人前での行事や式典で大声などに驚かないように馬をしつけることはとても難しいという事実も、音に対する馬の敏感さで説明することができる。騎馬警官用の馬やパレードの先導馬には、罵声、歓声、鼓笛などに反応しないという極めて不自然な行動をしこまなければならない。しかしそうするためにはかなりの忍耐と訓練が必要である。そのような訓練によって自然な反応を抑えつけられた馬でさえ、異常な音の爆発にさらされてたじろぎおののくことがある。それでもパニックを起こして後脚で棒立ちになったり暴走したりすることはさすがにないが、デリケートな耳が音の爆発にさらされて平静な状態を失っていることはそのボディランゲージで明らかである。
馬の聴力が優れている事による特別な利点は、単純なことばによる命令をささやくだけで馬が応えるように訓練することができることである。どんな馬でも犬と同じように「止まれ」「進め」「そう」「ダメ」などといった多くの言葉に反応することができる。ところがある理由により、この能力は完全に活かされていない。馬に乗る人達のなかには、馬に話しかけるのはよくないことであり、全ての命令は引く、ねじるといった物理的手段によってなされなければならないと勘違いしている人がいるからである。しかしそれでは素晴らしい聴覚という馬の大きな特徴のひとつを活用することはできない。
かつぶー>耳がいい、とうのは競走馬の場合、頭に被せられるメンコからもわかりますよね。耳を覆っているメンコの馬は音に敏感で、それを軽減しようという意図があるのでしょう。また騎手が口笛を吹いて落ち着かせる、なんてこともあるそうです。なので馬にとっては発走がスタート付近で、重賞にでもなれば歓声は非常に気になるのかもしれませんねぇ。けどあれは止めろといっても止むもんでもないし、ファンファーレなんかやっている訳ですからこれはなくならんでしょうねぇ。私たちに出来るのは発走前、パドックや返し馬の時に大きな声を出さない、という事でしょうかね。人間だってゴルフやテニスの時は静かにしろ、と言っているのですから。
競馬の動物学より 2001.12.6
スターター。
1993年、イギリスの有名な障害レースであるグランドナショナルが、スターターの不手際で不成立になった。我が国でもスタートにバリアーを使用していた時代には様々なトラブルが発生している。しかしスターティングゲートが採用されて以来、その種のトラブルはほとんどなくなっている。だからといってスターターの役割は決して軽くなってはいない。レースで負けた馬の騎手が「横を向いた時にゲートが開いた」とスタートのタイミングのずれをよく敗因に挙げるが、スタートの重要性は昔も今も変わらない。わずかな出負けがレースの結果を左右するケースも多いようだ。そのカギを握るスターターの仕事を紹介する。
1993年現在JRAには11人のスターターが在籍している。そして開催日には3人が1組になってそれぞれの競馬場を担当する。レースは1日で多い時で 12レース、従って1人が1日に4レース程度を担当することになる。しかしスターターの仕事は台に上がってゲートを開けることだけではない。自分がスタート台に上がらないレースでも仕事はある。1人はゲートの後方n位置して枠入りの確認をする。そして全馬がゲートに入り、後ろの扉が閉められたのを確認したら挙手をしてスタート台に合図を送る。目立つように白い手袋をしているが、これがスターターの目印だ。テレビやラジオの中継で全馬がゲートに入った後に「出ろー」という声が集音マイクに入ることがあるが、これは厩務員に退避を促すスターターの声である。さらにもう1人のスターターは枠入りがスムーズに行われるよう指示し、その後は外ラチ沿いに立つ。ゲートから人が出たことを確認すると共に、万が一の事故に備えるためだ。
台上のスターターの仕事はゲートを開けること、そして正しい発走であったかどうか判断することである。ゲートの前扉は強い衝撃が加わると馬体を保護するため開くようになっているが、他馬より一瞬早くゲートから出てしまった馬がいたらどうなるか。スターターが自分の目で「そのゲートだけ他の扉より早くゲートが開いた」と判断すれば、発走のやり直し(カンパイ)をする。テレビの実況アナウンサーが「フライング気味の好スタート」と表現する場合があるが、扉が同時に開けばフライングにはならない。だから偶然にタイミングが合い、結果的に好スタートになる場合もあるようだ。その他では故障などで特定の枠の扉が開かない、という事態も想定しなければならない。かつてゲート内で馬が扉を噛んで離さず、その枠だけ開かなかったということがあった。その場合もカンパイである。カンパイの場合は発走地点から200先の走路上に待機している係員に赤旗を振って合図し、その係員が大きな白旗を振って騎手に知らせる。従って「フライング」と「フライング気味」の判断は瞬時に行わなければならず、フライングえと判断したら、すぐ赤旗を振る。ビデオなどで確認することは不可能であり、しかも間違いは許されない。もしカンパイになるべきレースが続行されてしまったら大変だ。レースが不成立になれば馬券は買い戻しになるだろうから、主催者にとっては金銭的な損失も当然ある。しかしもっと大きいのはファンとの信頼関係が崩れてしまう事だ。ゲートの扉が同時に開くという前提が崩れてしまっては競馬は成り立たない。
スターターがゲートを開けるとき、その視線は1点に集中することなく全ての枠に均等に注がれている。従って「人気馬が出遅れないようにタイミングを合わせているのではないか」というような声を耳にすることがあるが、それは不可能だ。全馬が一斉にゲートを飛び出すのが理想のスタートであり、スターターはそのタイミングを瞬時に判断しなければならない。しかもアクシデントの見落としは絶対に許されない。だから特定の馬にだけ注意を払うことはできない。
さて、スターターが台上でゲートの扉を開ける実際の方法についても紹介しておこう。ゲートは扉の止め金の一部に磁石が取り付けてあり、その磁力で扉は閉まっている。その磁力を電気で打ち消すと、止め金が外れてバネの力でゲートが開く。電気を入れればゲートは開くのでスイッチは押しボタンのようなもので事足りる訳だが、実際には握力計に似た大きなスイッチ(レリーズと呼ぶ)を手にしている。これはゲート初めて導入した当時の名残であり、ウッド式という当時のゲートはワイヤーを引っ張ることによってゲートが開く構造になっていた。従って操作には相当な力が必要であり、必然的に握る力十分に生かせるような形のスイッチになった。スタート台がボックス状に覆われているのも操作が騎手から見えないようにするためだが、それでも当時は操作する時に肩が動いて騎手にわかってしまうこともあったようだ。尚、操作には利き腕である右手を使わない。右手にはカンパイの合図をする大切な赤旗が握られているからだ。
ところで競馬の開催日は土曜日と日曜日だけである。開催日だけが仕事なら「1週間を2日で暮らすいい男」となるが、どうやらそれほど甘い仕事では無さそうだ。11人いるスターターのうち、本部にいる1人を除く他の10人は美浦(6人)と栗東(4人)に所属している。さらに開催日以外でも競馬場への出張はある。主に水曜日~金曜日に行われるゲート試験に立ち会うためだ。新人や転厩馬など中央競馬に初めて出走する馬は必ずこの試験にパスしなければレースに出られない。この試験の目的は枠入り、駐立、発進と発走における一連の流れがスムーズな馬だけに出走を認めることにより、発走の際の事故を未然に防ぐためである。スターターはその際の試験官だが、ただ合否を判定するだけではない。各馬の癖を十分に観察して熟知しておくことがレースでのスムーズな発走につながるからだ。そしてこのゲート試験にはレースに出走できる馬の数を制限するという意図はない。一定の水準に達すれば何頭でも合格になる。
しかし気性に問題がある等でなかなか水準に到達出来ない馬もいる。スターターはそういう馬の発走調教に立会い、必要であればアドバイスもする。発走の調教はもちろん調教師の仕事だが、調教師が1頭だけを付きっきりで見ることは不可能だ。調教助手や騎手にはまだ経験の浅い人もおり、そういう時にはスターターが助言を与える。スターターは所属するトレセンの馬の大部分、それも発走だけを専門に見ているから経験は豊富だ。そして発走調教が持つ意味は非常に大きい。ゲートを嫌がる馬を作らないことが事故のない発走の第一歩となるからだ。しかもレースの盛り上がりという意味からも、その役割は小さくない。ゲートの悪い馬は再審査だけでなく、出走停止処分を受けることもある。GⅠレースの有力馬がトライアルで出走停止になれば本番のレースには出られない。そんな事態が発生したら応援するファンはがっかりだ。従ってスターターは馬に関するエキスパートの中から選ばれる。獣医や競馬学校の教官を経験した人などだ。
かつぶー>自分が買ってた馬が出遅れて負けると腹が立ちますが、スターターが悪いわけではないですからねぇ。私が競馬見はじめて、まだカンパイになったというレースは見たことが無いですねぇ。まぁ今の技術ならゲートが誤作動するという事は考えにくいですが、やはり万が一ということがありますんでね。あとゲートを開くスイッチがボタンでないというのもいいと思いますね。ボタンだったら誤って押してしまうことがありますしねぇ、ある程度の力を加えられるようにしといた方がいいでしょうね。ちなみに「カンパイ」は英語の「カム・バック」から来ているという事は知っていましたか?
競馬場は宝石箱より 2001.11.28
競走タイムの不思議。
1 着馬のタイムを勝ち時計という。着差は前馬が入線したときの後続馬から決勝線までの距離をいい、ハナ、アタマ、クビ、1馬身、1馬身半、10馬身以上を大差等と表現するが、観念的なもので数字のように正確なものではない。タイムからいうと、ハナ、アタマの差は同タイム、1馬身は1/4ないし1/5秒、勢いのいい時には7馬身で1秒の差になる。
競馬は勝ち負けを競うもので、タイムを争うものではない。天候、馬場状態、コースの取り方、相手馬との関係、レースの作戦など走る条件がたえず変わってくるので、同じ距離を走っても走破するのに要する時間は常に異なる。速力の上では断然上位の馬が負けることもあり、実力は随一といわれる馬が平凡な馬におさえられたりする。レースの展開次第で、速力すなわちタイムだけでは勝負が決まらない。馬の実力は時計だけではわからないが、かといって速い時計を出した事がない馬が勝つという機会もきわめて少ない。
馬の速力をみるのに距離別のタイム、または平均ハロンタイムを使用する。距離が長くなるほど平均ハロンタイムは遅くなる。
レースをしている馬は全距離を終始同じ速さで走るものではない。走っている速さは常に変わっている。スタート後の2ハロン目はレース全体でももっとも速くなるのが普通で、10秒5~11秒で走ることもまれではない。タイムはむしろ途中の時間経過を知ることが大切で、その概略をみるためにハロンタイムまたはラップタイムを利用する。ハロンタイムはスタートからハロン棒通過ごとに計ったタイム、ラップタイムは各200mごとの時間である。競走成績についているハロンタイム、またはラップタイムは、ハロン棒を最初に通過した馬の所要時間で、同じ馬のタイムを計ったものではないがそのレースをリードした先頭馬がどのように走ったかを知ることが出来るので、競走終了後にレースの経過を思いおこして検討してみる場合に都合がよい。とりわけ大事なところは後半の4ハロンで、その間のラップタイムの変化の具合で各馬のスタミナの判断が出来る。また決勝直前の2ハロンのラップタイムは追い込み馬の力を判定するのに利用できる。
ラップタイムをダイヤグラムに表してみると、レースの経過が一目瞭然として面白い。距離別のレース展開、重賞レースの形などにおよそ決まったレース運びがあるように見える。中距離レースでは、ホームストレッチにかかる3、4コーナーの間が遅くなって馬がひと息入れるとか、短距離レースでははじめの2ハロンがもっとも速く、次第にスピードが落ちて息のつく間のないレースが行われるなど、ラップタイムの上からレースの性格を知ることが出来る。
レース全体のタイムがよいときには、きまって前半の時計が速くなる。レコードタイムは後半に入っていくら速く走ってもつくれない。長距離レースの前半をおさえ過ぎたレースは、後半に頑張っても思った程に速力がでなくて馬をため殺したレースになるなど、競馬の一般的な法則はラップタイムの検討の結果まとめ上げられた知識である。
馬のスピードは脚の伸ばし方、すなわち歩幅と脚の動作の速さ、すなわち歩度によってきまる。競馬の駈歩(ギャロップ)は跳躍の繰り返しでm常歩や速歩と運動の仕方がまったく異なる。駈歩の歩度はおお飛びをする馬で1秒に2つ。1ハロン16秒以上かかる場合はそれよりわずかに多い。サラブレッドは一般に 200mを23歩、アラブは26歩で走る。(このときの所要時間は11秒5くらい)といわれている。
飛びの高い馬は歩幅はやや広くなるけれども、歩度が遅くなるので競馬では損をする。低身濶大、すなわち地面すれすれに脚を運んで、しかも脚のよく伸長する馬がよいが、ダートコースや軟弱な芝コースでは、むしろ飛びのやや高い馬が泥をつかむので有利である。いずれにしてもスピードは歩幅と歩数の積であるから、両方が大きくなるに越した事はない。
馬のスピードには限度がある。速いスピードで走れば長続きはしない。いくら速く走っても1ハロン11秒どまりで、それ以上のスピードを出せばすぐにバテてしまう。だから実際の競馬では、先行馬との間をあまり大きくとりすぎるのはいけない。脚の速い逃げ馬がいて、ドンドン飛ばして後続馬を10馬身以上も引き離すことがある。無理して走らせれば早晩バテる。しかし自分のペースで走っている場合は、速力を落とさずにそのまま逃げ込むことができる。後続馬がペース判断を誤って逃げ切り勝ちをさせてしまうこともよくある。後続馬は後半の半マイルに差し掛かったとき、先行馬からタイムで1秒以内、間隔で15メートル以内にいないと、相手を交わすことができなくなる。
かつぶー>大体ペースは距離別によって決まった感じはありますね。ただそのペース通りになるのかというのはわからないところで、若干の1秒の違いが大きく影響する時が多いですね。また馬場の状態も大きく左右しますし、これを掴むのがなかなか皆さん苦労するところではないですかね。今は色々数値化していて、ソフトなんかも出ているようです。しかしこれも数ある競馬の予想のファクターの一つであって、これだけでもそううまくはいかないんじゃないですかね。
馬の歩幅の事が載ってましたが平均はハロン23歩、では飛びの大きいクロフネは一体何歩でハロンを走るのかわかりますかねぇ。
競馬の科学より 2001.11.14
「気合い」と「イレ込み」。
まず「気合い」とはレースへの適度な闘志を見せる、気力の充実した状態を言う。一方「イレ込み」とはレースを意識して興奮し過ぎた状態だ。すなわち冷静さを欠いている。冷静さを欠けば失敗をしやすく、スタートで出遅れたり、道中引っかかって惨敗ということにもなりかねない。また、走る前からあまりイライラジタバタしていたのでは、レースの前に疲れてしまうという心配もある。だからイレ込みの馬は買えないのだ。ただし気合いが高まりすぎて、途中からイレ込みに移行する場合もある。どこまでが気合いでどこまでがイレ込みなのか、その線引きは案外難しいものだ。またひどいイレ込みに見える状態で絶好調という馬もいる。だから縦の比較ができるとより正確な判断になるのだが、ここでは一般的な見極めの目安を上げておく。
■歩様
多少うるさいところを見せても、ゆったりと規則正しい歩様で歩いていれば、まずイレ込みということはなはずだ。イレ込んだ馬は小走りになったり、跳ねたり、向きを変えたりして歩様を乱す。もちろん周回している中で一度くらい跳ねたからといって、すぐにイレ込みとは決められない。が、たびたび歩様を乱すようであれば要注意だ。
■発汗
小走りになったり、暴れていたりしていれば当然運動過多になって汗をかく。だから発汗の状態はイレ込みを見極めるための重要な観点だ。もちろん暑い日であれば汗をかくのが普通だが、それが他馬に比べて著しい場合、そしてチャカチャカと落ち着かず厩務員をてこずらせているようなら、イレ込みである可能性が高い。
■目つき
目は精神状態を如実に現すところだ。落ち着いた馬は涼しげな目をしている。だからイレ込んだ場合は目を見ればわかる。冷静さを失って取り乱した馬が、目だけ涼しくしているわけがない。
■ツル首
ツル首は闘志の現れなのだが、これも度が過ぎるとイレ込みと判断しなければならない。その目安として、まず厩務員の手綱を持つ手つきに注目するといい。軽く押さえて握ってて抑えている、この程度に引き方自然に出来るツル首こそ適度な気合いの現れだ。厩務員が体重をかけて両手で引っ張り返している、こういう手つきの場合は気合いの入りすぎ、イレ込み気味が疑われる。
■2人引き
イレこみが強い場合には2人の厩務員が手綱を引いている。しかし2人引きだから入れ込んでいるとは決められない。気合があまり高まらないように、最初から用心して2人で引く場合もある。手こずりながら馬を抑えている場合、lこれはイレ込みのための2人引きと見ることが出来るだろう。
かつぶー>私は競馬場には滅多に行かないのでパドックは見ることはほとんどないのですが、テレビでは明らかに太いかどうかを見るくらいですね。イレ込みの判断はテレビでは難しいですね。全馬じっくり見せてくれてるわけでもないですし。私はこの中では目つきが非常によくわかるのではないかと思いますが、それはテレビでは判断できないでしょう。
まぁ何にもいえることですけど「イレこみ=消し」という事もいえないですし、狙った馬がそういった場合は購入を見送るという感じでいいのではないでしょうか。
競馬 馬の見方がわかる本より 2001.11.2
白毛。
ハクタイユーという馬をご存知だろうか。この馬、実は日本初のある特徴をもった馬なのである。父ロングエースの牡馬。1982年2月デビュー。4戦して未勝利で引退。競走成績は取り立てて何という事もないし、血統がとくに優れているというわけでもない。では何が日本初なのかといえばこの馬、軽種馬協会に登録された初めての「白毛」なのだ。
白毛・・・芦毛馬ではない。ご存知のように芦毛は生まれた時には黒っぽくて、年を取るごとに白くなっていく。だが白毛は生まれた時から真っ白。生涯白いままなのである。
ハクタイユー以前にはこんな毛色はなかった。ハクタイユーが生まれてから、軽種馬協会が設定して新しく作った毛色だ。ちなみに海外ではその時点でいくつかの例が報告されていた。突然変異という説が有力だが、まだこの毛色に関してはよく分かっていない。
ハクタイユーの4年後、日本で2頭目の「白毛」が生まれている。カブラヤオー産駒の牝馬カミノホワイト。こちらも競走成績は1戦して10頭立ての10着とたいしたことはなかったが、ある目的で繁殖牝馬となった。目的とは、そう、ハクタイユーとの配合である。
ハクタイユーは1度使役馬となったあと、馬主となった北島牧場で日本で唯一の白毛が遺伝するかどうかを確かめるために種牡馬となっていた。すでに年間2、3頭ずつ種付けされていたが、まだ白毛はできていなかった。
さて、この2頭をl交配させたらどうなるか。非常に興味深いテーマである。白毛は突然変異に過ぎないのか?あるいは子孫に遺伝するものかどうか。
結果ハクタイユーとカミノホワイトは91年までで3度交配されたが、1年目は死産になったものの全身真っ白の子供を産んだ。どうやら遺伝することはほぼ間違いないということになった。ただし2年間は不受胎で3年目は流産。まだ軽種馬協会に登録された「白毛」はだしていない。
なおハクタイユーの種では92年、ウインドアポロッサという栗毛に白い毛が混じった牝馬が白毛を生んでいる。さて、2頭の白毛は今後白毛の仔を作ることができるだろうか?
かつぶー≫この本は1993年に出版されたものでその後のことはどうか分からなかったのですが、92年のウインドアポロッサの白毛はミサワパールという名前です。また1994年には同じ配合でハクホウクンという馬もでています。そしてこの本が発刊された1993年にはハクタイユー×カミノホワイトの白毛が誕生しました。ミサワボタンという名前でした。この馬は競走馬にはならなかったようです。
現在地方競馬ではハクホウクン(父:ハクタイユー)、ホワイトワンダー(父:ハクタイユー)、ホワイトペガサス(父:アスワン)の3頭が走っているようです。中央ではシラユキヒメ1頭だけですか。これは父がサンデーサイレンスという突然変異のタイプ。父が父だけに中央での白毛初勝利に期待がかかりますね。
そして今年も1頭生まれているようです。父ハクタイユーですから、これは多分地方いくんじゃないですかね。これまでハクタイユーは全白毛馬の7頭中5頭を出しており(ハクタイユーが種馬後)、これは遺伝ということが言えそうです。最初がハクタイユーだけに重賞で活躍、という馬は厳しいのかもしれませんが、その内突然変異(笑)で走る馬が出てくれると面白いですね。
大人のための「読む」競馬より 2001.10.25

